祝福の継承 創世記48章

 48,49章のテーマは「祝福」です。そのことは「祝福する」(8回)という動詞と「祝福」(6回)という名詞が繰り返されていることからわかります。48章には、自分のもとを訪れたヨセフの二人の息子(エフライムとマナセ)を祝福しているヤコブの姿があり(ヘブル11:21)、49章には、自分のもとに十二人の息子たちを呼び寄せて祝福するヤコブの姿があります。ヤコブは自分の死期が近いことを悟っています(47:29、48:21)。そして、ぜひ死ぬ前に彼がしなければならないと思っていたことは、子どもたちを祝福するということであったのです。

 ヨセフは、父ヤコブが病気であると聞いて、二人の息子を伴って父のもとを訪れます。すると、父は病の床にあって気力を振り絞ってヨセフに「ルズ」(ベテルの旧名 32,35章)での体験を語ります。そして、神の約束を思い起こして、ヨセフの二人の息子を自分の養子とし(5節)、その二人に神がくださるであろう地を相続させると約束しています。それが現実となるのは4世紀以上後のことですが、神の約束に対して揺るぎない信仰を持っていたことがわかります。Ⅰ歴代誌5章1節には、長子の権利がルベンの罪によってヨセフのものとなったことが記されています。ヨセフは長子として後に二倍の相続地を得ることになるのです(参 申命21:17)。

 ヤコブはルズの体験だけでなく、自分の愛する妻ラケルの遺体をベツレヘムへの道に埋葬しなければならなかったことを思い出して語っています(参35:19)。ヨセフの母に対して、夫としての愛慕の思いを伝えておきたかったのではないでしょうか。

 ヤコブはヨセフの二人の息子を祝福しますが、父ヨセフの思いに反して長男マナセではなく、次男エフライムを優先しています(20節)。ヨセフは手を交差している父の手を置き換えようとしましたが、父はそれを拒みました(18節)。ヤコブは視力を失っていたかもしれませんが(10節)、洞察力まで失っていたわけではなかったのです。

 ヤコブの祝福のことばに注目すると(16節)、ヤコブが神をどのように理解し、信じて歩んできたかが分かります。彼は神に対して三つの呼びかけを用いています。一つ目は「私の先祖アブラハム、イサクがその御前に歩んだ神」です。先祖たちの人生を導き、彼らがその歩みにおいて信頼した神として理解しています。二つ目は「今日のこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神」です。ヤコブ自身羊飼いでしたから、羊がどのようなものであり、その羊をどのように羊飼いが導き養い育てるかを熟知していたはずです(参 詩篇23,イザヤ40:11)。三つ目は「すべてのわざわいから私を贖われた御使い」と呼んでいます。「御使い」はしばしば神と同一視されることがあるので、神が存在を脅かす危険や霊的な危機から守り支えてくださったことを理解しています。

 ヤコブはエフライムとマナセの頭の上に手を置き、「この子どもたちを祝福してくださいますように」、「彼らが地のただ中で豊かに増えますように」(16節)と祈っていますが、それは神が約束された祝福に基づいています。ヤコブはアブラハム、イサクから継承した祝福を、今度は自分を介して、養子とした二人の子どもたちに継承させようとしているのです。

 今日、私たちはキリストを通して神の豊かな霊的な祝福にあずかっています(参 エペソ1:3-)。私たちの願いは、ヤコブと同じように、その祝福を次の世代に継承したいということでしょうか。


                    このメッセージは2022.3.13のものです。