飢饉の中を生きる 創世記47章

 飢饉の中、ヤコブの一族はエジプトへとやって来ました。息子のヨセフは、彼らが牧畜をするのに適した「ゴシェンの地」に居住することがきるようにと考え、取りはからっていることがわかります(45:10、46:28,34)。この47章の前半は、ファラオとの謁見の場面です。最初に謁見が許されたのはヨセフの兄弟5人です。彼らはヨセフの助言のとおりに先祖から羊飼いであることを語り、ファラオから正式に「ゴシェンの地」に住むことが許され、またファラオからは、「有能な者たち」をファラオの「家畜の係長」として召し抱えるとの言葉をいただきました。

 次に、謁見したのは父ヤコブです。そこではヤコブがファラオを「祝福した」ことが繰り返されています(7,10節)。また、ファラオから歳を尋ねられたヤコブは先祖たちには及ばない130歳であると答えています(35:28→イサク180歳、25:7→アブラハム175歳)。そして、自らの人生を「いろいろなわざわいがあり」(共同訳「労苦に満ち」)と述べています。確かに、ヤコブの人生には多くの苦しみがあったことは否めません。父を欺き兄の祝福を横取りしたことで兄に憎まれたこと、叔父にだまされ、かつ長く働かされたこと、娘のディナが異教徒によって暴行されたこと、長男ルベンがそばめのビルハと性的な関係を持ったこと、ヨセフがずっと死んだと信じこまされて来たことなど。しかし、ヤコブは神の支えと守りのうちに生かされてきたことを忘れているわけではありません(参 48:15)。

 12,27節には、ヤコブ一族がこの飢饉の中を食糧に困ることなく、「所有地を得て、多くの子を生み、大いに数を増や」していったことが分かります(参 出エジプト1:7)。それは神の約束の成就であり、神がヨセフを通して与えられた祝福であったのです。

 飢饉が深刻になる中、ヤコブの一族とは対照的に、エジプトの民はその中を何とか生き延びようと必死です(15,19節)。13節以降には、ヨセフがこの飢饉の中、どのような政策を取ったかを明らかにしています。これまで備蓄した穀物を、最初は銀と、次は家畜と、最後には土地との交換によって放出しています。そしてヨセフは人々から買い上げた土地をファラオのものとし、国家管理としました(14節「ファラオの家に納めた」20節「土地は、ファラオのものとなった」)。しかし、特権階級であった祭司たちは王からの給与によって生活していたので、彼らの土地を買い上げることはできませんでした(22,26節)。ヨセフは国有化された土地で小作人として働く人々に種を提供するかわりに、その収穫の20パーセントを税として納め、残りを彼らの家族の糧とすることができるように定めました。古代社会においての一般税率から考えると彼の政策は寛大なものだったと言えるでしょう。

 28節以降には、ヤコブは自分の死期が近いことを悟り、息子のヨセフに自分の遺体をエジプトにではなく、「先祖たちの墓」(参 創世23章)に埋葬するように誓わせています(49:29-32)。なぜヤコブはカナンにこだわっているのでしょうか。郷愁からでしょうか。そうではありません。神が約束された地だからです。今どんなにエジプトにおいて豊かに繁栄しているとしても、そこは寄留の地でしかないことを覚えていたのです(参 ヘブル11:13、Ⅰペテロ2:11)。そして、神の約束に生きる自らの信仰を証しし、次の世代にもその信仰を継承してほしいとの思いがあったからです。神の民は生きることを通してだけでなく、その死をとおしても信仰を証しすることができるのです。


                       このメッセージは2022.3.6のものです。