カレブの信仰 ヨシュア記14章6-15節

 このようにして、ヘブロンはケナズ人エフンネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。彼がイスラエルの神、主に従い通したからである(ヨシュア14章14節)。

 以前、謙遜で仕える心を持った80歳の老人で「バルジライ」(Ⅱサムエル17-19章)という人物を取り上げました。今回は、85歳になりながらも「今も壮健です」と語る、揺るぎない信仰をもった「ケナズ人エフンネの子カレブ」を取り上げたいと思います。彼はユダ部族のかしらであり、カデシュ・バルネアからモーセによって約束の地(カナン)へと派遣された十二人の斥候の一人です。

 ヨシュア記には、ヨシュアによってイスラエルの民がヨルダン川の東側から川を渡って約束の地に入り、そこに住む民に勝利して、その地を九部族半に割り当てたことが記されています(14-19章)。

 今回の箇所には、「ヘブロン」(エルサレムの南南西30キロ)がどのようにしてカレブの相続地となったのかが記されています。彼は、共に斥候として遣わされ今は指導者であるヨシュアに対して、45年前を思い起こさせて(民数13,14章)、ヘブロンを相続させて欲しいと願い出ています。そこには彼の「揺るぎない信仰」があります。では、彼の信仰はどのような点にみることができるでしょうか。

 まず、「神の約束を待ち望む忍耐」に見ることができます。カレブは四十歳の時、カナンの偵察から戻り、「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます」と民に訴えました(民数13:30)。それに対して、偵察に行った他の十人は「あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い」と主張し(13:31)、民の心を不信仰へと導きました(8節)。神は民の不信仰を怒られ、カレブとヨシュア以外は四十年の放浪生活のうちに荒野で死ななければならないと宣告されました(民数記14:33)。今やそれから四十五年が経過しています。カレブは自分の不信仰のためではなく、民の不信仰のために厳しい荒野の放浪生活を強いられてきました。へブル人への手紙には「あなたがたが・・・約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です」とあるように(10:36)、その間にいろいろな苦しみに耐えなければならなかったことでしょう。期待を失わずに忍耐をもって待ち続けるには信仰が必要です。

 次に、「変わらない勝利の確信」に見ることができます(敵を恐れて不満をこぼしているヨセフ部族とは対照的 17:14-16)。もし勝利の確信がなかったなら積極的に相続地を求めなかったでしょう。カレブはかつてと同様に強敵のアナク人を恐れていません。15章14節には、カレブがアナクの三人の息子を追い払ったことが記されています。カレブの確信はどこからうまれているのでしょうか。それは「主が私とともにいてくだされば」という言葉にあり(12節)、それは四十五年前と少しも変わっていないのです。

 最後に、「衰えることのない気力」に見ることができます。彼の実際の体力は40歳の時と85歳の時では違いがあったことでしょう。しかし、彼は「今も私は壮健です。私の今の力は、あの時の力と変わらず、戦争にも日常の出入りにも耐えうるものです」と告白しています(11節)。引退して楽隠居したい、ではなく、「この山地を、私に与えてください」と、敵の山の町にアタックしようとしているのです。彼は「主を待ち望む」信仰によって、「新しく力を得」(イザヤ40:31)、「外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされてい」たと言えるのではないでしょうか(Ⅱコリント4:16)。

 カレブの人生が幸いなのでは、「主に従い通した」(民数14: 24,32:11,申命1:36,ヨシュア14:8,9,14)人生であったということです(参 ソロモンとは対照的 Ⅰ列王11:6)。

                  このメッセージは2021.6.20(父の日)のものです。