サムソン(1) 13-16章 使命と力

 士師記には12人の士師が登場します。その中で、最も知られているのは12番目に登場する「サムソン」ではないかと思います。サムソンについては、その誕生の経緯から死に至るまでのストーリーが4章(13-16章)にわたって記されています。サムソンの生涯から私たちはどのようなことを読み取ることができるでしょうか。今回は、「使命と力」を取り上げ、次回では、「女たちと祈り」を取り上げたいと思います。

 サムソンを取り上げる前に、士師記に繰り返されているサイクル[(1)「背信」→(2)「敵の圧迫」→(3)「救出の叫び」→(4)「士師の登場」→(5)「平穏」(5番目のギデオンまで)]を理解する必要があるでしょう。

 13章の初めには、「主の使い」がサムソンの母に現れて、「男の子」誕生の告知をしていますが(3,5節)、サイクル(3)の民の「救出の叫び」がないにもかかわらず(参 15:11 民は敵の支配下に安住している)、神があわれみによって士師を登場させようとしていることがわかります。

 主の御使いは、誕生する子が「神に献げられたナジル人」(5,7節)として選ばれた者であり、ぶどう酒や強い酒を飲むことを禁じ、髪を切ってはならないことを指示しています。「ナジル人」の規定が記されている民数記6章では、他に死者との接触も禁じられています(6:6)。通常のナジル人の誓願は、ある一定の期間、しかも自発的な意志にもとづくものですが、サムソンの場合は「胎内にいる時から死ぬ日まで」(7節)であり、神の主権にもとづくものであったという点で異なっています。

 13章24節には、主の御使いの告知の通りに、「不妊」の女からサムソンが誕生し、「主は彼を祝福された」とあります。サムソンの誕生の経緯を読む時に、私たちは神によって選ばれた素晴らしい士師の登場を期待します。しかし、14章以降に見るサムソンは、並外れた怪力を衝動的に自由奔放に発揮するばかりで、人格的な魅力に欠ける人物です。

 サムソンの怪力の様子は、「主の霊が激しく下った」との言及のあるなしにかかわらず記されています(14:5-6,14:19,15:4,14-16,16:3,8-14,30)。彼は人並み外れた力という賜物を神から与えられていましたが、その目的は何のためだったのでしょうか。彼のその使命については、主の御使いは「彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める」(5節)と語っています。他の士師たちのように敵から民を解放するのではなく、「始める」、つまり彼の働きは限定的で未完のまま終わることを示唆しています。14章4節には「主は、ペリシテ人と事を起こす機会を求めておられた」との言葉があります。それはサムソンの人生を解く鍵のことばとも言えるでしょう。神がサムソンに力を与えられたのは、ペリシテ人の支配下に満足して、神の民としての独自性を失おうとしていたイスラエルの民とペリシテ人との間に対立を引き起こし、イスラエルの民を目覚めさせるためだったのです。

 サムソンの人生は、問題児さえも神がご自身のご計画のために用いられるという実例であるといっていいでしょう。16章には、サムソンはデリラとのやりとりの中で、与えられた賜物をもて遊んでいるようにさえ見えます。結果的には、それがサムソンの人生を壮絶な死をもって終わらせるものとなるのです。もし、彼が神から与えられた賜物を神の民としっかりと連携し、神の御心を求めながら行使していたなら、全く違った人生を送っていたのではないかと思います。サムソンに限らず、自制心によってコントロールされない力はいつも危険なものとなりえます。


                このメッセージは2022.9.18のものです。