神との交わりのうちに生きる ダニエル6章
6章には、ダニエルが獅子の穴に投げ込まれながら何の傷も受けることがなかったという有名な出来事が記されています。時は丁度、バビロンからペルシアへの権力移行期です。ダニエルは「ダレイオス」王に仕える三人の大臣うちの一人であり、王が大きな信頼を置いていた人物でした。3節には、ダニエルに「すぐれた霊が宿っていた」とあります。ダニエルを特徴づけているのは、「聖なる神の霊」が彼のうちに宿っていたということです(4:8,9,18,5:11)。その故に、ダニエルには神からの特別な知恵が与えられ、優れた人格を備えていたのです(参 ヤコブ3:17、ガラテヤ5:22,23)。
ダニエルの存在を快く思わない他の大臣らは、ダニエルの追い落としを図りましたが、その口実を見つけることができませんでした(4節)。彼らが唯一見つけることができたのは、彼の神への信仰を口実にすることでした(5節)。
ダニエルに悪意を持つライバルたちは、王への忠誠を装い、王の権威を示すために、王以外に祈ることを禁じる三十日間限定の法令を発布するように提案します。王はその法令がダニエルを陥れるための法令であることを知らなかったので、その法令の発布に同意してしまいます。
ダニエルは法令の発布後も、神に「日に三度」(10,13節)祈ることをやめようとしませんでした。ダニエルにとって祈りは神との生きた交わりを意味し、たとえ身の危険があったとしても控えることは考えられないことであったからです。ここに一貫して神との関係を大切にするダニエルの信仰が示されています。
ライバルたちはダニエルを監視していたのでしょう。ダニエルが自分の神に祈る現場を見つけ、王に対してダニエルへの厳罰を強く求めました。王は信頼するダニエルを何とか救いたいと考えましたが、ライバルの高官たちに詰め寄られて(15節)、ダニエルを獅子の穴に投げ込む他ありませんでした。
王はダニエルの身を案じ、眠れぬ夜を過ごし、次の日の早朝、ダニエルが投げ込まれた獅子の穴へと直行しました。王の「生ける神のしもべダニエルよ。おまえが仕えている神は、おまえを獅子から救うことができたか」との問いに、ダニエルは、神が守ってくださったこと、そして王の法令を破ったとしても自分の神への忠誠が王への忠誠に反するものではないものであることを弁明しています(22節)。
ダニエルが異国の地にあって、長く王たち(バビロン、ペルシア)の信頼を得て仕え続けることができたのは、処世術に長けていたからではありません。彼の神への忠誠を通して、たとえ王の法令に服さない場合があったとしても、彼が信頼できる人物であることを王たちが認めたからではないかと思います。
人に気に入られようとして優柔不断に生きる(信仰をアクセサリーのように状況にあわせて用いる)なら、結果的には信頼を失うことになるのではないでしょうか。神との交わりのうちに生きようとするなら、ダニエルが直面したように迫害が避けられないこともあるでしょう(参 Ⅱテモテ3:12)。しかし、ダニエルの一貫して神に仕える信仰が王に対して「生ける神」(20,26節)を証しするよい機会となったように、私たちにおいてもそうなるのではないでしょうか。
このメッセージは2023.7.9のものです。