ハンナの信仰 Ⅰサムエル記1章

 サムエルは最後の士師であり(参 7:15-)。またイスラエルが王制国家となっていく過程において重要な働きをした預言者です(3:20)。1章にはそのサムエル誕生の経緯が記されています。

 夫エルカナにはハンナの他にもう一人の妻ぺニンナがいました。なぜ二人の妻がいたかについては記されていませんが、最初の妻ハンナが不妊であったので、後にペニンナが妻として迎えられたのかもしれません。

 エルカナは、当時幕屋があったシロへ毎年家族を伴って礼拝のために出かけていました。この旅は子どもがいないハンナにとって一番辛い時でもありました。なぜなら子どもがないみじめさをペニンナによって味あわせられていたからです。夫のことばも彼女を慰めるものとはなりませんでした(8節)。「募る憂いと苛立ち」の中にあったハンナは涙のうちに神に祈りました。そして、その祈りからサムエルが誕生することになったのです。さて、今日はサムエルの母ハンナの信仰をみていきましょう。

 第一に、ハンナの信仰は祈りによって神に心を注ぎ出したことにあります。ハンナと同じような状況に立たされた女性にアブラハムの妻サラやヤコブの妻ラケルがいますが、彼女らはどう対処しているでしょうか。まず、サラは夫の子どもを生んだハガルが自分を見下げるようになったとき夫を責め、ハガルをいじめています(創世記16章)。一方、ラケルは姉に嫉妬し、いらだちを夫にぶつけています。いらだちをぶつけられたヤコブは怒りをもって切り返しています(創世記30章)。ハンナは仕返しをしたり、悲しみや苦しみを誰かに当たり散らしたりせずに、その思いを神の前に注ぎ出しています。重荷をしっかり受け止めてくださる神に「心を注ぎ出す」ことは賢明なことであり(詩篇62:8)、また信仰がなければできないことです。

 第二に、ハンナの信仰は主にささげるための子どもを求めたことにあります(何を、どのような動機でそれを求めたか)。ハンナは男の子を与えてくださるように神に願いました。その祈りはその子を主にささげるとの誓約を伴ったものでした。ハンナが子どもを願ったのは自分を苦しめたペニンナを見返すためではありません。自分の恥をぬぐい去るためでもなく(参 創世記30:23)、子どもを自分の慰めとするためでもありません。彼女の願いは霊的に荒廃した時代にあって、神の器を求めるものであったのです。自分の願望ではなく、神の御心にかなった祈りをささげるには信仰がなければできません。

 第三に、ハンナの信仰は誓約を守ったことにあります。神が祈りに答えてくださったとき彼女はその誓約を守りました。愛情を注いで子育てしていく中で、肉の思いはその子を手放すことに強く抵抗したことでしょう。しかし、彼女はその思いを断ち切り、その子が将来神の器として働きができるように祭司エリのもとへ連れて行き委ねました。神の御心に一時的に自分を明け渡すことを約束することは容易かもしれません。しかし、その約束を守り続けるには信仰がなくてはできるものではないでしょう。

 サムエルを託された祭司エリは、神の人から自分の子たちの取り扱いを非難され、「わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられる」との神の言葉を聞きました(2:30)。ハンナは神に心を注ぎ出し、御心にかなったことを願い、祈りが答えられたとき誓約を忠実に守ることを通して神を重んじました。後にハンナは五人の子の母となる恵みが与えられています(2:21)。神はご自身を重んじる者を重んじてくださる方です。


                            この母の日メッセージは2022.5.8のものです。