長老の資格(資質)テトス1章5-9節

 私があなたをクレタに残したのは、残っている仕事の整理をし、私が命じたとおりに町ごとに長老たちを任命するためでした(テトス1章5節)。

 テモテがパウロから牧会の責任を委ねられたのはアジア州にあるエペソの教会です。一方、テトスが委ねられたのは地中海の「クレタ」島にある教会です。ところで、クレタの教会はいつできたのでしょうか。パウロが二年間のローマの軟禁生活から解放された後のことと推測されます。そして、6節の「私があなたをクレタに残したのは」とのことばから、パウロとテトスの働きによって教会が誕生し、パウロはテトスをクレタに残して、自分は他の地へと赴くためにそこを後にしたと思われます。

 パウロはテトスに「町々に長老たち」を選ぶように命じていますが、その際にどのような資格(資質)を持った人でなければならないかを挙げています。パウロが挙げる項目で、「非難されるところがない」(共同訳「とがめられる点がなく」)という言葉が繰り返されています(6,7節)。パウロは長老について三つの領域(家庭生活、人柄や行動、みことばの理解と実践)において悪い評判の者ではないことを具体的に挙げています。

 まず家庭生活についてですが、二つの関係が問われています(6節)。一つは配偶者です。「ひとりの妻の夫」であるとは、結婚しているなら一人の妻に誠実な者であるということでしょう。もう一つは子どもたちです。子どもたちが信者であること、その子どもたちを十分な権威をもって指導し、従わせているかが問われています。

 次の領域は、人柄や行動です(7,8節)。十一の項目のうち五つは否定的な表現で、六つは肯定的な表現で説明されています。

 五つの「~ではない」の一つ目の「わがまま」とは、自分を喜ばせるという意味です。神ではなく自分を喜ばせようとするなら、相手に対して強引になってしまうでしょう。二つ目の「短気」とは、怒りっぽいということです。三つ目の「酒飲み」とは、ある注解者はお酒を傍らに置いているという意味だとしています。共同訳は「酒に溺れ」ると訳しています。四つ目の「乱暴」とは、腕力や口で相手を打ちつけることです。五つ目の「不正な利を求」めるとは、金銭に対して誠実でないということでしょう。

 「むしろ」(アラ)という言葉を挟んで、六つの肯定的な表現の一つ目の「人をよくもてなし」とは、愛の実践でしょう。二つ目の「善を愛する」とは、文字通りに善を行うことを愛することです。三つ目は「慎み深く」(Ⅰテモテ3:2)とは、思慮深く、分別があるということです(2:2,5)。四つ目の「正しく」と五つ目の「敬虔」(共同訳「清く」)は、しばしば対で出てくる言葉で(Ⅰテサロニケ2:10、Ⅰテモテ6:11)、前者が人に対して不義を行わないということであるのに対して、後者は神を冒瀆しないことです。六つ目は「自制心があり」とは、自分をコントロールできるということです(「御霊の実」の最後は「自制」)。

 最後の領域は、みことばの理解と実践です(9節)。監督の資格の「教える能力があり」に対応する内容です。「教えにかなった信頼すべきみことば」とは、言い換えるなら、使徒が教えたことと一致している言葉であり、「健全な教え」のことです。「しっかりと守っていなければなりません」とは、健全な教えを堅持し、その言葉に従っているということです。パウロはそのとき二つの使命を果たすことできるとしています。一つは「励ます」こと、もう一つは「反対する人を戒め」ることです。

 ずいぶん昔になりますが、ある本の中で「牧師(長老)は教会を育てる。その一方で教会が牧師を育てる」という言葉を読んだ記憶があります。長老は教会の重要な鍵を握る人です。私たちは長老となる資格を備えた次の世代を育てていきましょう。


                       このメッセージは2021.10.24のものです。