使徒職の目的 テトス1章1-4節

  神のしもべ、イエス・キリストの使徒パウロから。・・・・同じ信仰による、真のわが子テトスへ(テトス1章1,4節)。


 「テトスへの手紙」は、1章が16節、2章と3章がそれぞれ15節、計46節の短い手紙です。1-4節の挨拶の箇所から、使徒パウロが愛弟子であるテトスへと送った手紙であることが分かります。この挨拶から、受け取り人であるテトスについて、差し出し人のパウロが自分をどのように紹介し、自分の職務の目的をどのように考えていたかを見ていくことにしましょう。

 パウロはテトスに対してテモテと同じように「真のわが兄弟」ではなく、「真のわが子」と呼んでいます(4節)。それは彼がパウロによって救いに導かれたことを意味しているのかもしれません。仮にそうでなくても霊的な育ての親としての愛情を読み取ることができる表現です。また、テトスが牧会するクレタの教会に対して、テトスこそ自分の働きを継承する者であることを示そうとしているのかもしれません。

 冒頭でパウロは、自分を「神のしもべ」と「イエス・キリストの使徒」と紹介しています(1節)。「しもべ」(ドゥーロス)とは「奴隷」という意味です。自分の所有者が誰で、自分が誰に仕える者であるかを明らかにしています。一方「使徒」(アポストロス)ということばは、「遣わされた者」という意味です。自分が誰の権威によって遣わされているかを示しています。パウロがテトスやテモテに命じることができるのは、彼を遣わされたお方の権威があるからです。

 パウロは次に、自分の使徒職の目的を述べています。一つ目は「神に選ばれた人々を信仰に進」ませることです。「神に選ばれた人々」とはキリスト者のことです(参 ローマ8:33、コロサイ3:12)。私たちが信仰をもったのは自分の意志によりますが、神による選びがあったからでもあります(聖書は、人間の自由意志と神の主権の両方を教えている)。パウロがその働きにおいて目指していたのは、人々が救いに至る信仰を持つだけではなく、「信仰から信仰」へ進むこと、つまりクリスチャンたちの信仰が成長することであったのです(参 Ⅰテサロニケ1:3,ピリピ1:25)。

 二つ目は、「敬虔にふさわしい、真理の知識を得」させることです。「真理」とは福音をはじめとするキリスト信仰の正統的教義を指しています。パウロの目的は単なる「真理についての知識」を得させることではありません。「敬虔に導く」(新国際訳)知識であったということです。もし、知識が増えるだけで、その人を敬虔へと導くものでないなら、その人は高慢になってしまうでしょう(参 Ⅰコリント8:1)。

 三つ目は「永遠のいのちの望み」に対する確信を持たせることです。2節の「それは」が何を指すか、不明瞭です。多分、1節の「信仰」や「知識」でしょうか。パウロはそれが「永遠のいのちの望み」(同語は3:7にも)に基づくものであることを理解させようとしています。福音をとおして霊的ないのちに預かっているのは、神が約束されたことであり、遣わされた御子によって成就し、パウロの宣教によって明らかにされたものであることを示しています。

 パウロがテトスに自分の使徒職の目的を記しているのはなぜでしょうか。その目的は、テトスが見失ってはならない牧会の目的でもあるからです。それはまた、今日この手紙を読むキリスト者たちの目指すものでなければなりません。誕生した赤ちゃんの成長を願わない親はいないでしょう。それと同様に霊的に誕生した子どもたちが健全な教えによって敬虔な生活へと進むことは神の願いなのです。


                       このメッセージは2021.10.17のものです。