福音 最も大切なメッセージ Ⅰコリント15:1-19

 
 

 パウロがギリシアのコリントを最初に訪れたのは、第二回伝道旅行においてです(使徒18:1-)。彼はそこに一年半滞在して「福音」を伝え、コリント教会が誕生しました(参 4:15、3:6)。彼はそのコリントのキリスト者たちに改めて「福音」を知らせようとしています。パウロが「福音」と呼んでいる内容については、「キリストは、・・・ 私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、・・・三日目によみがえられたこと、・・・に現れたこと」(死、埋葬、復活、顕現)と説明しています(3,4節)。もっと簡単に言うなら、「キリストの死と復活」ということになるでしょう。さて、彼はその「福音」をどのようなものと紹介しているでしょうか。

 第一に、それは最も大切なメッセージです。パウロはコリントのキリスト者たちに他にも多くのことを伝えたでしょう。しかし、そのメッセージの中で「福音」を「最も大切なこと」としています(1節)。なぜでしょうか。それは「福音」が救いのメッセージだからです(ローマ1:16)。そのメッセージは信じる者に「救い」(2節)を、信じない者に「滅び」(18節)を決定するものです。

 第二に、それは約束に基づくものです。パウロは「聖書に書いてあるとおりに」(3,4節)と繰り返しています。「聖書」とは「旧約聖書」のことです。「福音」はパウロが「私も受けた」ことと述べているように、彼が勝手に考え出したものではありません。神が旧約聖書を通して予め約束してくださっていたものです(参 ローマ1:3)。

 第三に、それは史実に基づくものです。キリスト教信仰は、教えだけで成り立っているものではありません。キリストの死と復活という歴史的事実に基盤を置いています。もし、誰かがその歴史性を完全に否定することができるなら、キリスト教信仰の土台は崩壊してしまうでしょう。

 パウロはキリストの復活の事実を実際に復活の主にお会いした人々を列挙することによって示そうとしています。なぜなら、キリストの復活は「私たちの罪のため」の贖いの犠牲が父なる神に受け入れられたことを示すからです(救いに確証を与えるもの)。

 パウロは復活の主にお会いした人々のリストの最初に、使徒たちのリーダー的存在であった「ケファ」(5節 ペテロのこと)をあげ、さらには「五百人以上の兄弟たち」(6節)のことをあげています。その中の大多数の者たちはまだ生存していて、生の証言を聞くことができるとしています。最後には教会を激しく迫害した自分も加えています。

 パウロは12節以降において、もしキリストが復活されなかったなら、という仮定について述べています。「宣教」(福音を伝える働き)も、「信仰」も「空しいもの」となるとしています(14節)。そればかりか、事実ではない嘘を伝えることは「神についての偽証人ということにさえな」るとしています。また、キリストの死は何も成し遂げなかったことを意味し、「私たちの罪のため」であることはうそとなり、キリストに信頼する者は「一番哀れな者」(19節)であると、結論づけています。

 神が私たちのために備えられた「福音」(良い知らせ)は、多くの人々が聞きたいと願っているもの(成功や繁栄といったご利益)とは本質的に異なるかもしれません。しかし、神がキリストをとおして備えてくださった罪の赦しこそ、すべての人が最も必要としているものなのです。


               このイースター・メッセージは2023.4.9 のものです。