二人は一人にまさる 伝道者の書4章1-16節

 

 ある人は4-5章の主題を「日の下」での「虐げ」、6-8章の主題を「日の下」での「不幸」という分け方をしています。さて、この4章でも、この書の特徴的な言葉である「日の下」(1,3,7,15節)と「空しい」(4,7,8,16)が繰り返されています。伝道者は「私は・・見た」(1,4,7,15節)と言っていますが、何を見ているのでしょうか。

 一つ目は、抑圧社会の悲惨な現実です。伝道者は、権力によって虐げられている弱い者たちの「涙」を見ています。そして、「彼らには慰める者がいない」と繰り返しています。「慰める者がいない」とは、彼らを助け、支え、元気づける者がいないということです。「虐げてはならない」(申命24:14)とのことばは、いつの時代も無視され続けています。


 伝道者は、生きている人より、死んだ人の方が、さらには「今までに存在しなかった者」の方が良いのではないか、とさえ言っていますが、悲惨な現実を直視し続けるならそのような思いに至っても不思議ではないのかもしれません。

 二つ目は、競争社会の空しさです。伝道者は「あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功」の背後にある競争心(ねたみ)を見ています。ライバル意識が人を仕事に駆り立て、仕事が他の人より自分の存在価値を高める手段となっているのを見ているのです。その一方で、競争社会に背を向け、現実を逃避して怠惰に生きる者が貧しくなる現実も指摘し、両手で空しい労苦の結果を得ようとするより、片手で「やすらかさ」を得る方がまさると述べています。

 三つ目は、真の目的を見失って労苦する者の空しさです。この書には「労苦」(アーマール、4,6,8,9節)ということばが頻繁に出てきます(22回)。「労苦」そのものが否定されているわけではありませんが、富を追い求めて孤独に果てしない労苦に邁進する姿は、ワーカホリック(仕事中毒)への警鐘と言えるのではないでしょうか。

 伝道者は、「日の下」で孤立した者たちの現実を語っていますが、9-12節では、仲間や友がいる者たちの幸いを述べています。9節の「二人は一人よりもまさっている」は、よく結婚式で読まれる聖句です。10節以降のことばを見ると、念頭にあるのは旅人(または兵士)かもしれません。なぜ二人は一人にまさるのか、その理由を四つあげています。一つ目は「よい報いがある」からです。二人が協力して労苦するなら良い結果を得ることができるでしょう。二つ目は助け合えるからです。当時の旅は、今日のような快適な交通機関も宿泊施設もありませんでした。旅は常に危険と隣り合わせでした。何かの理由で動けなくなるかもしれません。助け合える友がいるなら何と心強いでしょうか。三つ目は体を温め合えるからです。野宿しなればならない状況で、凍えるからだを寄せ合って寒さをしのぐことができるでしょう。四つ目は敵に立ち向かうことができるからです。一人では立ち向かうことができなくても二人ならできることがあるでしょう。

 精神分析医のヘンリー・クラウドは「他者とつながらずに幸福になることはできない」と述べています。人生を振り返るときに、もっと会社にいて仕事をすればよかったと後悔する人は少ないのではないでしょうか。もっと家族との関係を大切にすべきだったと思うのではないでしょうか。家族、そして信仰の家族(参 エペソ2:19,ガラテヤ5:9)との交わりはいつも大切なものですし、大切にしなければなりません


                このメッセージは2023.4.2のものです。