ルツの求婚 ルツ2章18-3章13節

 3章には、ルツがナオミの指示に従ってボアズに求婚をし、ボアズがそれを受諾する様子が記されています(その詳しい説明は、後日説教集で確認ください)。

 さて、ルツが求婚に至った動機(理由)は何だったのでしょうか。また、そこから結婚に関してどのような適用を見出すことができるかを少し考えたいと思います。

 一つ目は、ナオミに対する信頼をあげることができるでしょう。ルツのナオミに対する従順は(5,6節)、力によって服従させられているからではありません。ナオミがボアズならルツを委ねることができ、ルツをしあわせにできると考えていることを、ルツ自身も知っているからです。ルツはナオミが利己的な動機を隠して自分を利用しているのではないことを知っています。

 信頼している人の助言がいつも正しい訳ではありません。しかし、耳をかたむける素直さは必要ではないでしょうか。恋は盲目といいますが、あなたには見えていない相手の本当の姿が他の人には見えているということがあるのではないでしょうか。

 二つ目は、ボアズの信仰や人柄を知っているということでしょう。最初の出会いにおいて、ルツはボアズが貧しいやもめを見下さず、外国人の女性に対しても偏見がなく、信仰共同体の一員として認め(参 2:12)、尊厳をもって接してくれたことを知っています。ルツ記全体を通してあらわされているボアズの姿は「御霊の実」(ガラテヤ5:22,23)を思い起こさせます。ルツにとって確かにボアズは年齢が離れていたかもしれません。しかし、その言動にあらわされた信仰から尊敬し信頼できる男性として彼女は見ていたことでしょう。

 結婚相手に限らず、誰かがどういう人かを見抜くことは簡単ではありません。しかし、物事に対する見方や他の人に対する接し方のうちに、その人柄や信仰が見えてくることがあるのではないでしょうか。クリスチャンならその人が神さまとどのような関係をもっているか、という視点は忘れてはならないでしょう。お互いがクリスチャンであるなら、即良好な関係を築けるということを残念ながら約束はできませんが、お互いに立ちもどるべき土台や指針があるということは、互いに成長し長く結婚生活を継続するために非常に大切なことです。

 三つ目は、ナオミを幸せにしてあげたいとの思いです。ボアズが示唆しているように、ルツは望むなら他の若い男性とも結婚ができるようなりっぱな女性だったでしょう(3:10)。しかし、ナオミのしあわせを考えるならボアズとの結婚が良いと判断したのです(自分を犠牲にしてという悲壮感はなかったと思います)。

 結婚を考えるとき自分の幸せを考えない人はいないでしょう。しかし、相互に相手の幸せ(ルツの場合はナオミの幸せが全面に出ていますが)を考えることができるのはすばらしい関係ではないでしょうか。

 結婚は人生の大きな選択の一つです。これから結婚を考えている兄弟姉妹たちには、共に神を礼拝しつつ、主にあって成長していけるだろうか、という視点を大切にしてほしいと思います。クリスチャン人口が少ない日本にあっては相手を見出すことは容易ではありません。教会はそのために祈っていきましょう。


                  このメッセージは2022.7.31のものです。