郷里の人々の不信仰 マルコ6章1-13,30節


 今回の箇所には、主イエスの郷里の人々の不信仰(1-6a節)と十二人の使徒たちの派遣(6b-13節)及び帰還報告(30節)が記されています(サンドイッチ構造:バプテスマのヨハネの処刑のエピソードが挟まっている)。

 主イエスは弟子たちとともに「郷里」(ナザレ)へと行かれました。3節を見ると、主のかつての職業や家族構成を知ることができます。主が公の宣教を開始されたのは「およそ三十歳」(ルカ3:23)です。それまでは父ヨセフ(参 マタイ13:55)と同様に「大工」をしておられたと考えられます。ここには父「ヨセフ」の名前がなく、主は「マリアの子」と呼ばれています。すでに父が亡くなっていたと考えられますが、父が亡くなっていたとしても「ヨセフの子」と呼ばれるのが普通です。もしかすると故郷の人々の見下す思いがあるのかもしれせん。主の兄弟として「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン」の名前が見られます。そして、名前はありませんが、「妹たち」もいたことが分かります。主の家族については、人々の「イエスはおかしくなった」という評判を聞いて、連れ戻そうとやって来たことをすでにマルコは紹介しています(3:21,31-)。この段階ではまだ家族も主を信じてはいなかったのです(参 ヨハネ7:5)。

 主に対する故郷の人々の反応はどうだったでしょうか。主の教えを聞き、ラビのもとで正式な教育も受けたことがないのに、どうして「知恵」があり、また「力あるわざ」を行なうことができるのだろうか、という驚きです。しかし、「この人」(2,3節)も、彼の家族のことも私たちは良く知っているという人間的な思いによって、その知恵やわざを正しく受け止めることができず、心を閉ざし「つまずい」てしまったのです。すでに何者かを良く知っているという思いが、主を真に知ることを妨げてしまったのです。権威ある「教え」や「わざ」が必ずしも信仰へと導くものではないことがここからもわかります(参 3:22)。

 主は、預言者が郷里の人々に拒絶されるということわざ(4節)を例に、それを自分に当てはめ、郷里の人々の「不信仰に驚かれ」ました(6節)。これまでは、主の周りの人々が何度も驚いてきたのですが(1:22,27,2:12,5:42,6:2)、ここでは逆に、彼らの心のかたくなさに主ご自身が驚いているのです。そして、主は郷里の人々の不信仰のゆえに、「力あるわざを行うことができなかった」(5節)のです。並行記事のマタイ13章58節では「彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇跡をなさらなかった」とあります。主は人々の信仰の有無にかかわらず権威あるみわざを行なうことができるお方です。しかし多くの場合、その信仰に対する応答として恵みのみわざを行なっておられます。それはご自身に対して「力あるわざ」だけを求めてくる者に、それを与えることが有害となるからでしょう(参 マルコ9:23-24)。主は郷里の人々の不信仰のゆえにご自身のみわざを制限されたのです。

 主は私たちを恵もうとしておられるのに、また私たちを通して、そのみわざをなしたいと思っておられるのに、ナザレの人々のように「私たちの不信仰」のゆえにそれを制限しておられるとするならどうでしょうか。私たちはもっと信仰をもって、期待し求めるべきではないでしょうか(参 ヤコブ1:5)。ところで、主は私たちの「信仰」に驚かれるのでしょうか(参 マタイ8:10)。それとも、その「不信仰」に驚かれるのでしょうか。

[「使徒たちの派遣」についての説明はスペースの関係のため省略]

             このメッセージは2024.2.18のものです。

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