ヘロデとバプテスマのヨハネ マルコ6章14-29節

 主と弟子たちのガリラヤ宣教は、その地方を治めていた「ヘロデ」(ヘロデ・アンティパスのこと)の耳にも入ることとなりました。

 当時の人々の間で、主イエスが何者であるかについてかわされていた意見がここでは紹介されています(参 8:28)。まず人々の中には「バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえった」と考える人がいました。ヨハネは何の奇跡を行なうこともありませんでしたが(参 ヨハネ10:41)、主は多くの奇跡を行われたからです。また、ある人々は「エリヤ」や「昔の預言者たちの一人のような預言者」だと考えました。そのような噂が飛び交う中で「ヘロデ」自身は、「私が首をはねた、あのヨハネがよみがえったのだ」(16節)と「ひどく当惑して」(ルカ9:7)いました。

 マルコは主の宣教開始が「ヨハネが捕らえられた後」(1:14)であったことを述べていましたが、その後のヨハネがどうなったのかは今回の箇所から知ることができます。

 ヨハネが逮捕され投獄されたのは、権力者を恐れずにヘロデの罪を糾弾したからです。ヘロデは当初、ナバテア王国のアレタ四世の娘と結婚していました。しかし、ローマに行ったとき異母兄弟の「ピリポ」の妻「へロディア」と恋仲となり、へロディアにはピリポとの離婚を説得し、自らはへロディアと結婚するためにアレタ王の娘と離婚をしたのです。ヨハネは「兄弟の妻を自分のものにする」行為は律法に反する行為だとして(レビ記20:21)、断罪し続けたのです。それでヨハネはヘロデによって投獄されることになったのです。

 権力者を恐れずに罪を糾弾するヨハネを、ヘロデは恐れていました。なぜなら、民衆はヨハネが神から遣わされた預言者であると信じていたからです(参 マルコ11:32)。ヨハネに対する態度はヘロデと妻ヘロディアとでは違いがあります。ヘロデの心にはまだ神さまがお与えになった良心が働いていたのでしょう。ヨハネが「正しい聖なる人」であることを知っていて、ヨハネの教えに「非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾け」ていました。ヨハネの正しさを認めるなら、自分の罪をしっかりと認めて悔い改めるべきでしたが、罪にしっかりと向き合おうとはしませんでした。一方、妻ヘロディアの方は敵意をいだき、ヨハネを殺す機会を狙っていました。

 へロディアは娘を通してヨハネを殺す「良い機会」を得ることとなります。そこには罪のない者の血が、公正な裁判が行なわれることもなく、非常に残酷な斬首という形で流されているのを見ます。権力者は自分のメンツを守るために、軽率な誓いを撤回しようとはしなかったのです。主に死刑判決を下した総督ピラトも、主に罪がないことを知っていました。しかし、結果的には自分の保身のために、民衆の圧力に屈して死刑を言い渡すことを余儀なくされました。罪を悔い改めずに、曖昧な態度をとり続けるなら、さらなる罪に引き込まれてしまうことをヘロデやピラトの姿からも読み取ることができるのではないでしょうか。

 旧約のイスラエルの王ダビデと、今回のヘロデを比較するときに、ダビデはウリヤの妻バテ・シェバを奪い、ウリヤを死に至らしめました。しかし、ダビデは預言者ナタンの言葉を通して罪と向き合い、悔い改めて赦しを得ることができました。罪に対して優柔不断な態度をとり続けるなら、決して幸いな歩みをすることはできません。みことばをとおして、聖霊が、あなたの罪を指摘しておられるなら、曖昧な態度をとらず、へりくだって罪を悔い改めましょう(参 箴言28:13)。悔い改める者に赦しが約束されています。


      このメッセージは2024.2.25のものです。