二種類の知恵 ヤコブ3章13-18節


 今回の箇所には二種類の「知恵」が取り上げられています。一つは「上からの知恵」(17節)、すなわち「神から来る知恵」です(参 箴言2:6)。もう一つは「上から来たもの」ではない「地上の」知恵です(16節)。両者は「真の知恵」と「偽りの知恵」、「神の知恵」と「人間の知恵」(参 Ⅰコリント1:20,21)と言い換えることができるかもしれません。

 ある人は、聖書が私たちに示す知恵について、「知恵とは主に知的な概念ではなく、神の御心を見分け、それに従って行動する実践的な能力である」と述べています。聖書の知恵は、神を恐れ(参 箴言9:10、ヨブ28:28)、神と共に歩む中で「立派な生き方」(13節)を通してあらわされるもので、偏差値やIQなどの数値であらわされるものではないのです。

 ヤコブは、すでに「知恵」ついて「神に求めなさい」(1:5)と言っていました。それは、試練を正しく受け止め、神が意図された人格的な成長の機会とするためには、私たちは神からの知恵を必要としているからです。

 ヤコブは、教会の不和という問題を背景として、真の知恵が会衆に「平和」(17節)をもたらし、偽りの知恵が「秩序の乱れ」(16節)をもたらすことを教えています。ヤコブが対比させている二種類の知恵の特徴(またはもたらすもの)や起源について見ていくことにしましょう。

 まず、偽りの知恵から見ていきましょう。ヤコブは、14節で「もし・・・があるなら」という条件文で和らげていますが、「ねたみ」(ゼーロス)と「利己的な思い」(エリセイア)をあげています。この二つは16節にもでてきます。「ねたみ」や「利己的な思い」と訳されている原語は、ガラテヤ5章20節の「肉のわざ」のリストでは、「そねみ」や「党派心」(自己利益の拡大を求めること)という言葉で訳されています。16節では、この二つのあるところに「秩序の乱れ」や「あらゆる邪悪な行いがある」と述べています。ヤコブは、偽りの知恵は人間関係を破壊することによってあらわされると考えているのです。

 15節では、偽りの知恵が「地上のもの、肉的で悪魔的」であると説明しています。「地上の」とは、「上から来たもの」と対比させているのでしょう。「肉的」(プシュキコス)とは「霊的」と反対であり、他では「生まれながらの」(Ⅰコリント2:14)と訳されています。「悪魔的」とは、その知恵の性質が悪魔的であるということか、またはその知恵が悪魔を起源とするものという意味でしょう。

 次に、真の知恵についてみていきましょう。ヤコブはその知恵の特徴を七つあげ、その「第一に清さ」(共同訳「純真」)をあげています。罪に汚されていないということです。二つ目には「平和」を、三つ目には「優しさ」(Ⅰテモテ3:3「柔和」)をあげています。四つ目の「強調性がある」(共同訳「従順」)は、文字通りには「簡単に説得される」という意味です。神学的、道徳的原則に反しないかぎりにおいて、他者への敬意のゆえに喜んで従うということです。五つ目には「あわれみ」と「良い実」を対にしてあげています。六つ目の「偏見がない」とは、えこひいきがないという意味に近いでしょう。七つ目の「偽善がない」は、肯定的な言い方をするなら、「誠実」であるということです。

 ヤコブが真の知恵の特徴と考えているものと、パウロの「御霊の実」(ガラテヤ5:22-23)には似ている点があります。両者は、神が喜ばれるものであり、人間関係を築きあげていくものです。真の知恵の欠如によっていかに大切な関係が損なわれていることでしょうか。真の知恵を神に求めていきましょう。


            このメッセージは2023.9.10のものです。