不和の原因と解決 ヤコブ4章1-12節
ヤコブが手紙を書き送った会衆に人間関係の問題があったことは、「あなたがたの間の戦いや争いは」(1節)や「人殺しをします」(2節)という穏やかならぬ言葉からうかがうことができます。具体的にどのような事を巡っての対立があったのかは分かりません。ヤコブは、3章から舌をコントロールすることの大切さを語って来て、4章11節では「互いに悪口を言い合ってはいけません」と戒めています。おそらく教会の中に激しい口論による主導権争いがあったのだろうと思われます。
ヤコブは、1節で不和の原因を問いかけ、その原因を「あなたがたのからだの中で戦う欲望」ではないか、と述べています。「欲望」(3節の「快楽」と同語)は、3章14,16節の「利己的な思い」や1章14節の「欲」と同じような意味に理解していいでしょう。
ヤコブは、自分の思い通りにならない人たちが、神に願い求めるのではなく、自分の願いをあくまでも押し通そうとするために対立が深刻なものとなっていることを指摘しています。多様な意見があることは必ずしも悪いことではありませんが、自分の意見が教会全体や信仰的に弱い人たちにどのような影響をもたらすか、また、誰を(自分か、神か)を喜ばせようとしているのか、その動機をしっかり考えて発言する必要があります。
ヤコブは、これまで「私の兄弟たち」と呼びかけてきました。しかし、4節では手厳しく「節操のない者たち」(8節では「罪人たち」「二心の者たち」)と呼びかけています。直訳すると「姦淫の女たち」という言葉です。旧約では神と神の民との関係が結婚関係にたとえられていて、預言者たちは神の民が偶像に心を向けるときに、「姦淫」という言葉を使ってその罪を断罪しました(参 エレミヤ3:6-13、Ⅱコリント11:2)。手紙の読者たちが心を向けていたのは偶像ではなく、「世を愛する」や「世の友となりたいと思う者」(4節)という言葉から、「世」であったことがわかります。ヤコブは、神と同時に「世」を愛することはできないことであり(参 マタイ6:24)、それは神を敵とすることであると強調しています(参 Ⅰヨハネ2:15-17)。なぜなら、当時のヘレニズム世界において「友」となるとは「精神的、肉体的な一体感の中で、すべてのものを分かち合う」ことを意味したからです。
ヤコブは5節で、神がご自身の民を愛するゆえに、「私たちのうちに住まわせた御霊(または「霊」)をねたむほどに慕っておられる」ことを示し(参 出エジプト20:5)、さらに「豊かな恵みを与えてくださる」、つまり、ご自身に敵対する者に悔い改めの機会を与えて、箴言3章34節を引用して交わりの回復を約束しています。7-10節の言葉は、具体的な悔い改めの招きです。7-10節には、「神に従い」なさい、から「主の御前でへりくだりなさい」まで、十の命令があり、その間に「そうすれば」(7,8,10節)との約束が繰り返されています。9節の「嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい」という命令は、自分たちの傲慢さが不和を招いたことを認めて、悔い改めを公にするようにという呼びかけです(参 ヨエル2:12)。
ヤコブは世俗的になって自分の願いを押し通そうとして不和を生じさせていた者たちの原因を特定し、その解決のためには神の前に謙遜になって悔い改めることが必要であることを教えています。敵である悪魔は交わりを破壊する機会をいつもうかがっています(参Ⅰペテロ5:5-9)。お互いに用いられないように気をつけなければなりません。
このメッセージは2023.9.17のものです。