えこひいきするな ヤコブ2章1-13節

 

 ヤコブはこれまで貧しい者と富める者について言及してきました(1:9,10,27)。ここでも両者について言及し、富める者と貧しい者とを差別する「えこひいき」があってはならないと命じています。そのような差別は「栄光のイエス・キリストへの信仰」に反するとしています(参 ガラテヤ3:28)。

 2,3節には仮定の状況を描いています(2節は「もし」という条件文で始まっている)。「集会」に、外見が全く対照的な二人が入ってきます。一人は「富んでいる人」(6節)ということばでは紹介されていませんが、「金の指輪をはめた立派な身なりをした人」とは明らかに「富でいる人」です。もう一人は「みすぼらしい身なりの貧しい人」です。外見で判断され違う対応がとられています。富んでいる人には「良い席にお座りください」と特別な敬意を払って優遇し、「貧しい人」には「立っていなさい。でなければ、そこに、私の足もとに座りなさい」と軽視し、冷遇する場面が想定されています。ヤコブは、6節で「あなたがたは貧しい人を辱めたのです」と厳しく非難していますので、これに類するような出来事が教会の中にあったと考えていいでしょう。一般の社会では社会的な地位や経済力によって「えこひいき」が行われていたことでしょう。しかし、同じようなことが教会の中にも起こっていたので、ヤコブは「えこひいきすることがあってはなりません」と命じているのです。

 ヤコブが「えこひいき」を禁じる理由は何でしょうか。一つは、それは神の慈しみや配慮と異なるからです。ヤコブは神が「貧しい者たちを選んで信仰に富む者」とし(参 Ⅰコリント1:26-29)、「御国を受け継ぐ者」(参 マタイ5:3)とされたことを強調しています。ヤコブの手紙の読者の多くが「貧しい者」たちだったからであり、貧しい者たちの方がはるかに神により頼む者たちであったからです(ヤコブは貧しい者が貧しい故に選ばれたとも言っていないし、また、富んでいる人は選ばれず、御国を受け継ぐことはできないとも言っていない)。

 ヤコブは、6-7節で「ではありませんか」(肯定の答えを期待する疑問文)と繰り返して、富んでいる人たちがいかに貧しい人たちを苦しめているかという現実を指摘しています。それなのに、どうして富んでいる人を優遇し貧しい者を軽視するのか、それは神が慈しんでいる貧しい人を辱めることではないか、と問いかけているのです。

 ヤコブが「えこひいき」を禁じる二つ目の理由は、「最高の律法」である「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という戒めに反するからです。8節と9節は、対比されていることがわかります。それぞれに「もし」という条件文があり、隣人を愛するなら「立派です」とし、「えこひいきする」(愛さない)なら、「罪を犯して」いるとしています。

 「えこひいき」は、今日の学校でも職場でも家庭でもあるでしょう。残念ながら教会の中にもそれは存在しているかもしれません。神はあわれみ深いお方です。ヤコブは、キリストを信じる者たちが社会的弱者に対してあわれみ深いことを期待しつつ、外見で人を判断して「えこひいきするな」と命じているのです。私たちは互いに敬意をもって接しましょう(参 ローマ12:10)。


               このメッセージは2023.8.20のものです。