神の御心にかなった願い Ⅰ列王記3章
ソロモンは父ダビデからイスラエル王国を継承しました。主イエスが「栄華を極めたソロモン」(マタイ6:29)と言われているように、イスラエルが最も繁栄した時代の王です。ソロモンが神に「知恵」を求めたことは列王記3章(並行記事はⅡ歴代誌1章3-13節)に記されています。
時は、ソロモンが王になってから3年(2:39)から4年(6:1)にかけてのことです。場所は「ギブオン」です(エルサレムの北西10キロ、そこに「青銅の祭壇」があった)。ソロモンは自分を王として立ててくださった神への感謝と今後の統治の祝福を求めてでしょうか、「千匹の全焼のささ物」(4節)をもって礼拝をささげました。
主は夜、夢のうちにご自身をソロモンに現され(5,15節)、「あなたに何を与えようか。願え」と仰せられました。ソロモンが神に語ったことばから、私たちは彼が神をどのようなお方として考えていたかが読み取れます。それは神が約束に対して誠実なお方であるということです。ソロモンは神がダビデに「大いなる恵み」を与えられたこと、そしてその恵みによって自分が今王として立っていることを認めています(6節)。それは神が預言者ナタンを通して父ダビデに約束されたことでした(参 Ⅱサムエル7:12)。また、ソロモンは自分が統治しようとしている民について、「あまりに多くて、数えることも調べることもできないほどの大勢の民」(8節)と語っていますが、それは神がアブラハムに約束されていたことでもありました(創世記13:16,22:17)。
私たちは、ソロモンが願った動機を知るなら、その願いが「主のみこころにかなった」ということがよく分かるのではないでしょうか。
まず、ソロモンの動機は利己的なものではなかったということです(参 ヤコブ4:3)。そのことは、神がソロモンに「自分のために長寿を願わず、自分のために富を願わず、あなたの敵のいのちさえ願わず」と言われたことに示されています。もし、彼が通常の王であったなら、そのようなものを願っていたことでしよう。
次にソロモンの動機は、自分を王としてくださった神の使命を果たすためのものであったということです(参 Ⅰヨハネ5:14)。ソロモンは大勢の民を「さばく」(9,11節 共同訳「治める」)ための「知恵と判断の心」(12節)を願いました。ソロモンは自分が未熟で、リーダーシップの経験が浅いこと(「出入りする術を知りません」参 民数27:17)を謙遜に認め、大勢の民を治める責任の重大さを理解していました。彼は自分の弱さを認めて、神が託された民(8,9節「あなたの民」)の幸いを願い、民の良い牧者となることを願ったのです。それこそ神がイスラエルの王に求められていた姿だったのです(参 申命記17:16-20)。
ソロモンが求めた「知恵」(12節)は、神を恐れることと結びついています(参 箴言9:10)。そして、神を恐れる者が、「民のために正しい訴えを聞き分ける判断力」(11節)を持つことができるのです。今日の利己的な独裁者が民の苦しみや悲しみを「聞き分ける心」を持たないのは神への恐れがないからでもあるのです。
私たちはソロモンのように王ではないから、知恵を必要としないということではありません。人生の様々な試練を乗り越え、誘惑に打ち勝つために、また日々のさまざまな責任や役割を果たすために神からいただく知恵が必要です。知恵を求めることは神の御心にかなった願いです。それを求めていきましょう(参 ヤコブ1:5、ヘブル4:16)。
このメッセージは2023.6.18(父の日)のものです。