愚かな者になるな 伝道者の書10章1-20節
10章は、箴言に見られるようないろいろな格言によって構成されています。そこには「知恵のある者」と「愚かな者」が対比されていて、特に愚か者の愚かさに焦点が当てられています。10章のメッセージを簡単に要約するなら「愚かな者になるな」ということでしょうか。
2節では、伝道者は「知恵のある者」と「愚かな者」の「心」が全く異なる方向に向いている、と述べています。「右」は「力や幸福」を、「左」は「不幸や災い」を意味すると解する者もありますが、知恵のはじめは神を恐れることでもあるので、知恵のある者は神を恐れ、愚かな者は神を恐れない、また「知恵ある者の心は」その人を正しく導き、「愚かな者の心は」その人を迷わせると理解してもいいでしょう。
1節では、「死んだハエ」が「香油」を台なしにしてしまうように、「愚かさ」が「知恵や栄誉」を台なしにしてしまう、と述べています。3節では、愚かな者は自分の人生がどこに向かっているかをよく考えず、自らの愚かさをその言動によって明らかにし、隠すことができないとしています(参 箴言13:16,12:23)。
12節にも「知恵のある者」と「愚かな者」との対比があり、知恵のある者のことばは優しく、人に恵みをもたらすのに対して、愚かな者のことばは自らを貶め、不幸をもたらすとしています(参 箴言18:7)。
13節には、愚か者の語ることばが「始まり」から「終わり」まで愚かさで満ちているとしています。14節では、愚か者は「よくしゃべ」り(参 箴言10:19)、未来のことについて多くのことを知っているように思っているが、実は知らないのだと指摘しています。15節では、愚かな者は先の見通しも立たないのに行動するので無駄な労苦が多く、人生の目的も方向性を見失っているとしています。
7-11節では、人生において様々なリスクがあることに言及しています。それは知恵のある者がそのリスクに対応し、愚かな者はそうではないということを示すためなのでしょう。
8節の「穴を掘る者」、「石垣を崩す者」については悪意をもってそうしているのか理解が分かれますが、もしそこに悪意があるとするなら、愚かな悪者が「墓穴を掘る」と意味になるでしょう(参 箴言26:27)。
9節の「石を切り出す者」、「木を割る者」は怪我をする危険(労働災害)があることを示しています。10節では、刃を研ぐ労を惜しむなら、力まかせに斧を振るっても無駄な労力を使うだけだということでしょう。「刃を研がない」ことをクリスチャン生活に適用するなら、何かをする時に、神の知恵や助けを祈らないで行動してしまうことになぞらえることができるかもしれません。
10章を読むと、指導者がいかに重要な存在であるかを明らかにしています。5-7節で、伝道者は愚かな「権力者」の過ちによって、地位の逆転が生じ社会が混乱した様子を見た、と述べています。16,17節では、王の統治の差によって生じる幸いな国家と悲惨な国家の違いが、高官のあり方によって描写されています。
今日の世界情勢を見るときに、自らの保身に走る利己的な指導者たちが国民をいかに苦しめているかを見ます。いつの時代も神を恐れる知恵のある指導者が必要とされていることを覚えさせられます。
このメッセージは2023.6.11のものです。