子育てについて大切なこと
親ほど子どもに良い意味でも悪い意味でも大きな影響を与える立場にいる者はありません。子どもの将来は親の手にかかっているというのは大げさかもしれませんが、親は大きな責任を委ねられていることは間違いありません。では、親がその責任を果たすためには、どんなことに心を留めたらいいでしょうか。
第一に、安定した夫婦関係です。なぜなら、夫婦関係は子どもが育つ環境の土台だからです。夫婦間に隠し事がなく、信頼し、愛し合っている夫婦なら、子どもは安心できる雰囲気の中で成長し、両親のどちらに対しても心を開き、やがては他の人々にも心を開いていくことができるでしょう。逆に、夫婦がいつも口論し、いがみあっているなら、子どもはその重荷を耐えがたく思っているでしょう。平和を装っても、子どもは敵意を敏感に察知し、感じ取るものです。夫婦が互いを非難し、自分を守ることで頭がいっぱいなら、子育てのための一致した指針を持つことができないでしょうし、お互いの欠けを補って協力して子どもに関わることはできないでしょう(子育てのある時期においては、親はとても忍耐を試されます。そのような中でどちらかが限界に達しそうな時、良好な夫婦なら協力して、互いに支え合うことができるでしょう)。
子育て(親子関係)について考えるときに、まず夫婦関係から考える必要があります。なぜなら、家庭の軸とならなければならないのは、親子関係ではなく、夫婦関係だからです。そして、夫婦関係は子どもたちが巣立った後も続く重要な関係であることを忘れてはなりません。
第二に、子どものさまざまな必要に心を配ることです。まずその一つ目は、物質的(衣食住など)な必要です。親から生存のための食べ物さえ与えられずに餓死する幼児のことがニュースに取り上げられたりしますが(ネグレクト)、いたましい限りです。何でもほしい物を買い与えることは有害であり、必要ではありませんが、本当に必要なものが何かを見極めつつ、それを備えることが大切です。
二つ目は情緒的な必要です。つまり無条件の愛です。愛は親の期待に応えて、良い成績や結果を出した時だけに与えられるものであってはなりません。親は子どもを愛情と拒絶の間を漂わせてはなりません。子どもはあるがままを認められ、大切にされ、愛される必要があります。
先に物質的な必要を語りましたが、そればかりに気を取られて、子どもの心の必要に無頓着になっていないか、心を配る必要があります。親たちに「子どもを愛していますか?」と尋ねるなら、殆どの親は「はい」と答えるでしょう。しかし、問題を抱えている子どもたちの多くは、“愛されていない”という思いを抱えています。この親と子の意識のずれはどこにあるのでしょうか。それは愛が正しい方法で伝わっていないということです。愛が正しく伝わるためには、存在を肯定する言葉、共に過ごす時間、スキンシップ、コミュニケーションなどに注意を払うことが大切です。
三つ目は社会的な必要です。家庭から学校、社会へと活動範囲を広げていこうとする子どもたちが身につけるべき基本的な考え方や行動を指導する必要があります。たとえば、善悪の判断をはじめ、人との関わりで大切なこと(正直、誠実、親切、感謝すること、素直にあやまること)、お金、ねたみや怒り、お金、性といった問題にどう対処するのか)などです。
四つ目は霊的な必要です。主は「子どもたちを、わたしのところに来させなさい」と言われました(マルコ10:14)。生まれながらのすべての人間は罪という問題を抱えて、神の御怒りの対象です。神はキリストを通してご自身との和解の道を備えてくださいました。その和解の道へと導くことはキリスト者の親だけができることです。また、子どもが自らの人生において神のみこころを見出し、その道を歩むことができるように励ますこともそうです。
第三に、子どもを授けて下さった方に知恵と力を求めることです。スイスの精神科医のポール・トゥルニエ博士は「どんな親でもみな自分の子どもに対して数えきれないほどの教育上の誤りを犯しています」と述べています。不完全な者が子育てをしていることを素直に認める必要があるでしょう。
殆どの親は、親として特別なトレーニングを受けて親になるわけではありません。子どもを授かってはじめて戸惑いながらも親としての一歩を始めるというのが現状でしょう。多くの場合、自分が育てられたように、子育てをするというのが殆どでしょう。良い面は継承し、悪い面は断ち切り、神の助けを頂きながら、育児と共に育自へと導いていただきましょう。