安息日をめぐる論争 マルコ2章23節-3章1-6節



 今回の箇所には、「安息日」をどのように過ごすべきかをめぐっての論争(対立)が二つあります(23-28節,3章1-6節)。

 「安息日」は、十戒の第四戒であり(出エジプト記20:8,申命記5:12)、神と神の民イスラエルとの特別な関係をあらわす「しるし」です(参 出エジプト31:13,17)。神が天と地を六日間で創造された後、神は第七日を祝福し、その日を聖とされたことに由来します(創世記2:2-3)。神の民が安息を守る理由については、出エジプト記では、神の創造のわざを覚えるためとしていますが(20:8-11)、申命記では、エジプトの奴隷から神の恵みによって救い出されたことを覚えるためであるとされています(5:15)。

 安息日にはいっさいの労働が禁じられ、それを破る者には厳罰が命じられました(参 出エジプト31:12-17,民数15:32-38)。それは、奴隷や寄留者、家畜に至るまでが過酷な労働から解放されて休むことができ、造り主であり救い主である神に心を向けて、礼拝をささげることができるようにするためでした。神はご自身の安息に民を招き入れ、その日を「喜びの日」(参 イザヤ58:13)とするようにされたのです。

 出エジプトした民は、やがて建国しますが、その国はバビロンによって滅ぼされ、民は捕囚となるという憂き目を経験します(エレミヤ13:15-22:預言者エレミヤは警告していた)。それは彼らが経済的利益を優先し、霊的に無関心となり、偶像礼拝に陥ったことが原因でしたが、それは安息日の本当の意図が失われてしまっていたからでもあるのです。

 主イエスの時代になるとパリサイ人は、過去の教訓もあって、極端な安息日厳守を民に強要するようになりました(振り子が反対の極端に振れてしまった)。安息日にはいっさいの仕事が禁じられていたので、何が仕事になるかを厳格に詳細に定め、その律法の重いくびきを民に負わせ(参 マタイ23:4)、民の生活を非常に不自由なものとしてしまったのです。神が命じられた安息日の目的や精神は全く見失われてしまっていたので、主イエスはパリサイ人に「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません」(27節)と語らなければならなかったのです。

 今回の箇所で、パリサイ人は主の弟子たちが麦の穂を摘んだことを、禁じられている労働(収穫)として非難しています(申命記23:25:少しの麦の穂をつんで食べることは許されていた)。もう一つは、「片手の萎えた人」を癒やしたことを安息日律法を破る行為として問題にしています。彼らは、いのちの危険がある場合にのみ癒やしが許されると考えていたからです。主は憐れみの心を失っていたパリサイ人に「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか。」と問いかけられました。正解は明らかであり、癒やすこと(善を行うこと)はいけないとは答えられないので、彼らは沈黙せざるを得ませんでした。

 週日、成果が求められる社会(経済優先の社会)の中にあって、一旦立ち止まり、心身ともに休み神を礼拝する日を持つことは、健全な信仰生活を保つためにとても重要です(参 ヘブル10:25)。いろんな事情があって礼拝をささげることができないときがあるかもしれません。しかし、礼拝を疎かにしながら神とともに歩むことができると考えているなら、危険な霊的状態にいることに気づく必要があります。

[安息日とキリスト者の関係については省略します。 参 コロサイ2:16,17]

       このメッセージは2023.12.17のものです。