福音(良い知らせ)Ⅰコリント15章3,4節

 

 聖書(旧約、新約)は、辞典のような分厚い書物ですが、その中で最も重要なメッセージは「福音」(ユーアンゲリオン)と呼ばれるもので、「良い知らせ」という意味です。その内容は、キリストが「私たちの罪のために」死なれ復活されたということです(Ⅰコリント15:3-4)。

 使徒パウロは「福音」について、「私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかりと覚えているなら、この福音によって救われます」(2節)、また「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です」(ローマ1:16)と述べています。

 「福音」が「良い知らせ」として受け止められるためには、現状の「悪い知らせ」が正しく認識される必要があります。それは、人間が罪のゆえに堕落し、神のさばきのもとにあるということです。人間が抱える罪の現実は、現在繰り広げられている戦争の悲惨さによって明らかにされているのではないでしょうか。私たちも罪の現実を他人ごととして片付けることはできないでしょう。自分もまた同じ罪の性質をもち、罪の影響はその心に、ことばに、振る舞いに浸透しているからです。私たちが今世間で公表されているような問題を起こさないでいられるのは、神の恵み(恩寵)によって守られているからに過ぎないのです。

 私はクリスチャンになって40年以上になります。福音を知る前は、自分のことをとても良い人間だと思っていました。しかし、聖書のさまざまな言葉を通して自分の心の内面を深く探らされ、自分が良い人間とはとても言えないことがわかってきました。そして、神が私の罪のためにご自身のひとり子を犠牲にしてくださったことを知ったときに(ローマ5:8)、福音を信じ受け入れることはとても自然なことでした。その後神は、私を福音を伝える働きへと召してくださり、今日に至っています。

 ところで、なぜキリストの死と復活が「良い知らせ」なのでしょうか。キリストの死によってどのような恵みが罪人にもたらされることになったかを知るなら、それが「良い知らせ」であることがわかります。 

 

 まず、一つ目は罪の赦しです。神は聖であり、義なるお方です。罪をお裁きになります。しかし、神はキリストを信じる者に罪の赦しを約束してくださっています(ルカ24:47,使徒10:43)。

 二つ目は、やがて私たちはこの地上の生涯を終えて、神の前に立たなければなりません。神はご自身の御子を信じる者に、神の国に入る希望を与えてくださっています(エペソ1:11)。

 三つ目は、生きる真の目的を与え、罪に打ち勝つ力と、試練を乗り越える知恵や平安を与え(参 ヨハネ14:27,16:33)、キリストに似た者へと変えてくださいます(参 Ⅱコリント3:18)。

 「福音」は過去を精算し、将来に希望を与え、今を生きる知恵と力を与えるものです。キリストが死から復活されたことは、キリストを通して罪人に約束されている「良い知らせ」が確かであることを保証するものです。

 聖書があなたに提供する「良い知らせ」は、今のあなたが期待する「良い知らせ」とは違っているかもしれません。しかし、神がキリストを通して約束している恵みは、すべての人が必要としている良い知らせなのです。