耐え忍びなさい ヤコブ5章1-11節

 

 ヤコブはすでに1章において「忍耐」の重要性について述べていました(1:2-4,12)。そしてこの5章でも忍耐することに言及しています。そのことは「耐え忍びなさい」(7,8節)や「忍耐」(10,11節)という言葉からわかります。 

 人生には多くの耐え忍ばなければならないことがありますが、ヤコブがここで念頭においている苦しみは、「金持ちたち」(1節)による抑圧と考えられます。ヤコブは、なぜ信者宛ての手紙に、未信者の金持ちたちを取り上げているのでしょうか(1-6節)。それは、未信者の金持ちたちの恐るべき末路をしっかり示し、彼らによって苦しめられている貧しい「兄弟たち」(7,9,10節)を励ますためです。

 ヤコブは金持ちを金持ちゆえに断罪しているわけではありません。ここに登場する金持ちたちは、労働者に対して当然支払うべき報酬を払わない地主であり(4節)、お金の力によって貧しい者たちの権利を踏みにじる者たちです(6節、2:6)。そして、彼らの利己的なライフスタイルはまさに神を知らない人を特徴づけるものであったのです(5節)。

 ヤコブは、信者たちに「耐え忍びなさい」と繰り返して命じ、耐え忍ぶための確かな希望を指し示しています。それは「主が来られる時」(7,8節)すなわち、キリストの再臨の時です。キリストの再臨は未信者にとっては恐ろしいさばきの時であり、信者にとっては救いの完成のときであり、慰めのときです(参 Ⅱテサ1:7-9,Ⅰテサ4:13-18)。ヤコブは公正なさばきが行われることを念頭に耐え忍ぶようにと命じているのです。

 ヤコブは7-11節の中で、耐え忍ぶ者、また耐え忍んだ者たちの例をあげて励ましています。一つ目は「農夫」(7節)です。農夫が「貴重な実り」を得るために「初めの雨や後の雨」を耐え忍び待っていることをあげています。天候によって収穫は大きく左右されますが、人がコントロールできないものです。農夫はなすべきことをなし、収穫のために必要な雨を忍耐強く待つのです。私たちも同様になすべきことをなし、主の来られる時を待つのです。

 二つ目にあげているのは、旧約聖書に登場する「主の御名によって語った預言者たち」(10節)です。彼らは神から託された使命のために、苦しみを耐え忍ばなければなりませんでした。私たちもその信仰のゆえに迫害を避けることはできません(Ⅱテモテ3:12)。主イエスの約束に信頼して耐え忍ばなければならないのです(参 マタイ5:12)。

 三つ目にあげているのは「ヨブ」です。ヨブ記に登場する「ヨブ」は、確かに1-2章では素晴らしい信仰を表明していますが、3章以降には自分の生まれた日を呪ったり(3:1,11)、神に自分の潔白さを抗議したりしています(23:4)。そのため、ヨブを「忍耐」の模範とすることに疑問を抱く人がいるかもしれません。しかし、ヨブは苦しみの中で信仰を捨てているわけではないのです。最終的に神は、ヨブの友人たちを非難し、ヨブを肯定しておられることがわかります(42:7)。ヤコブは、ヨブの「結末」(42:12)に目を止めて、神の「慈愛」や「憐れみ」に信頼するようにと励ましているのです。

 ヤコブは苦しみの中で不適切な方法(暴力的な報復)で状況を変えようとするのではなく、主の再臨を待ち望みながら耐え忍ぶようにと励ましています。私たちも主の公正なさばきと報いを期待しながら歩みましょう。


            このメッセージは2023.10.1のものです。