神とともに生きる ヤコブ4章13-18節

 

 4章13節から5章6節までには、裕福な人が登場します。前半の人物は旅商人で、後半に出て来るのは利己的な地主です。共通点は、ともに「よく聞きなさい」(4:13,5:1)との注意を促すことばがあることと、神を視野に入れないで人生を送っている姿があることです。しかし、前半の人物はキリスト者であり、後半の人物は未信者であることがわかります。なぜなら、前半の人物にはその生き方を変えるようにとの言葉があり(15節)、後半の人物にはそのような言葉はなく、罪とさばきの宣告があるばかりだからです。

 ヤコブは、旅商人を想定して彼らの次のような言葉を紹介しています。「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう」。ヤコブは、計画を立てることや、彼らのようなビジネスに反対しているわけではありません。目標を設定し、その実現のために綿密な計画を立てることは、悪いことではないでしょう。むしろ賢明なことと言えるのではないでしょうか。では、ヤコブは何を問題にしているのでしょうか。自分の人生を自分がコントロールしていると考えて行動している傲慢さを問題にしているのです。16節の「あなたがたは大言壮語して誇っています」という言葉から、神を無視して、自己を過信している姿を読み取ることができます。ヤコブは、3章において二種類の知恵について言及していました。(3:13-18)。彼らの生き方は神の知恵に頼るものではなく、人間の知恵に頼るものであったと言えるでしょう。

 ヤコブは、人生の不確かさを「あなたがたには、明日のことは分かりません」(14節)と述べています。箴言27章1節には「明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないのだから」と同様な言葉があります。ヤコブは人間の存在のはかなさを「しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧」にたとえています。早朝、谷間に霧が立ちこめます。しかし、日が昇ると、その霧はたちまち消えてしまいます(参 1:10)。

 ヤコブは自信過剰なビジネスマンのようにではなく、「『主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしょう』と言うべき」である、としています(15節)。ヤコブが彼らに求めていることは、神の主権を認めて神とともに歩みなさい、ということなのです。

 神の主権を認めて歩む模範は、パウロに見出すことができるでしょう。パウロは多くの地を旅行して、各地に教会を建設しました。その旅程において主の御心を念頭において歩んでいたことは、使徒の働きや彼の手紙から知ることができます(参 使徒18:21,Ⅰコリント4:19,16:7)。旧約聖書では、神の導きを求めながら歩んでいるダビデの姿を見ることができます(参 Ⅰサムエル23:2,4,10-12,30:8,Ⅱサムエル5:19,23)。

 神を信じていない人たちは、「頼れるのは自分の知恵や力だけだ」、そして「自分の人生は自分で切り開いていくものだ」と考えているかもしれません。しかし、ヤコブが私たちに求めている生き方は、不確かな人生において神に信頼し、神とともに生きるとなのです。

 自分の人生の計画を立ててから、「神さまこれを祝福してください」と承認を求めるのではなく、「神さま、あなたは私の人生にどのようなご計画をもっておられるのですか、教えてください」と導きを求めながら歩んでいきましょう。


          このメッセージは2023.9.24のものです。