あなたは愛されています ヨハネ3章16節

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである(ヨハネ3章16節)。

 「聖書」は旧約と新約を合わせると辞典のように分厚い書物です。それを手にする人たちはいったい何がこの本の中心的なメッセージなのだろうか、と戸惑われるかもしれません。しかし、そのメッセージは単純です。「神はあなたを愛してくださっています」(参 イザヤ43:4)ということです。今回はそのことを、聖書のなかでも有名な一節(ヨハネ3章16節)をとおして説明していきましょう。

 まず「神は」とあります。聖書の神はこの天と地を造られた創造者であり、人格を持った生けるお方です。それに対して「偶像」は人の手によって作られた「物」であり、そこにはいのちがありません(詩篇115:4-8、エレミヤ10:3-5)。そのような物は人間あっての神々であり、人間の幸福に仕えるために生みだされたものに過ぎません。

 次に神は「愛された」とあります。聖書には「神は愛です」とあります(Ⅰヨハネ4:16)。愛を口先で語ることは簡単でしょう。しかし、神は歴史の中に具体的な行動をもってその愛を明らかにしてくださいました。そのことに関しては「そのひとり子をお与えになったほどに」とあります。「ひとり子」とは、キリストのことです。キリストは今から2000年以上前に地上に人として誕生して来られ、やがてあの十字架にかかって死なれました。キリストの死は不慮のできごとではなく、神がこの地上にキリストを遣わされた目的に基づくものです。すなわち、神はその愛するひとり子を犠牲にされたということです(Ⅰヨハネ4:9-、ローマ5:8)。

 神がそれほどまでに愛の対象としているのは誰でしょう。それは「世」です。「世」とは私たち人間ひとりひとりを指しています。人は造り主なる神に背をむけて、罪とその悲惨な結果にうめいています。連日のように報じられる殺人、虐待、不正事件は人間の醜い罪の姿の一端を示すものです。みなが同じような罪を犯すわけではありません。しかし、聖い神の前にすべての人が罪人であることには変わりありません(ローマ3:10)。

 神は罪人である私たちに何を願っているのでしょうか。それは「滅びることなく、永遠のいのちを持」つことです(参 Ⅰテモテ2:4、Ⅱペテロ3:9)。裏を返して言えば、人は罪の解決がないままでは「滅び」に定められているということです。「滅び」とは神との永遠の断絶であり、それにふさわしいさばきを受けなければならないことを意味しています(Ⅱテサロニケ1:9)。なぜなら、義なる方である神はどんな罪をも見過ごしにできず、罪を裁かなければならないからです。しかし、その同じ神は私たちに対する愛のゆえに、私たちの罪をキリストに担わせ、さばかれたのです(Ⅰペテロ2:24)。

 キリスト教信仰とは単に道徳や倫理、善行を教える宗教ではありません。人を神との交わりに導きいれる「永遠のいのち」を与えるものです。私たちがそのいのちを持つことができるために、神はどんなに大きな犠牲を払ってくださったことでしょう。