空の空 伝道者の書1章1-11節

 

 「伝道者の書」(「知恵文学」に分類される)は、旧約にあって独特の書であり、また難解な書として知られています。この書が私たちに伝えようとしているメッセージを共に見ていきましょう。

 書名の「伝道者の書」(共同訳「コヘレトの言葉」)は、1節の最初のことば(語順は「伝道者のことば」「ダビデの子」「エルサレムの王」)から取られています。「伝道者」と訳されているのはへブル語「コヘレト」(7回 1:1,2,12,7:27,12:8,9)です。「集会を招集する者」とか「集会で語る者」というある種の職務を表わす語と考えられています。英語(KJV)では「preacher(説教者)」と訳されています。

 「伝道者」とは何者なのでしょうか。1,12節の「ダビデの子」、「エルサレムのイスラエルの王」や16節の「私より前にいたエルサレムにいただれよりも、知恵を増し加えた」(参 Ⅰ列王4:29-34)、また2章16節の「私は偉大な者となった」(参Ⅱ歴代1:1)という表現を見るときに、「ソロモン」(在位BC970-930年頃)が浮かびます。しかし「伝道者の書」には、「箴言」(1:1,10:1,25:1)や「雅歌」(1:1)のようには「ソロモン」の名が直接出てきません。伝道者の書の著者については「ソロモン」か否かは議論がありますが、伝統的な見解に立って「ソロモン」と考えていきましょう。

 「伝道者の書」を理解する上で重要なキーワードやフレーズがあります。キーワードは、「空」や「空しい」と訳されている「へベル」です(文字通りの意味は「息、蒸気」)。全体で38回用いられています。この言葉と関連して、「風を追う」という表現も9回出てきます。

 

 キーフレーズは「日の下」(共同訳「太陽の下」)で、全体では29回出てきます。伝道者は繰り返し「私は・・・見た」と語っています。それは彼の思索がこの地上の限られた生涯の経験に基づいていることを示しています。ですから死後(の希望)については語られていません。 

 伝道者が繰り返し使っている「へベル」とはどういう意味でしょうか。伝道者の書を読み進めていくと、人の「死」という限界に向き合っていることがわかりますので、地上の短い人生のはかなさや人生の不条理を意味していると思われます。

 「伝道者の書」は冒頭から「空の空 ・・・ 空の空 すべては空」(新共同訳では「なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい」)ということばではじまります。悲観的で虚無的、また厭世的な表現ですが、伝道者は人生に希望はないと考えているのでしょうか。ある人は、伝道者について「神を知らない人」(12:1「あなたの創造者を覚えよ」との勧めや神を恐れることの言及が5回出てくる)ではなく、「神から離れた人生を理解しようとしている人」であると説明しています(Enns)。地上の短い人生を神なしで考えるなら、堕落したこの社会の不公正、矛盾、不可解さなどの現実に「空しい」という思いに至るのは当然ではないでしょうか。

 「伝道者の書」の最後の12章では、冒頭の「空の空。・・・ すべては空」(8節)という表現が繰り返されて、13節では「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」との結論が述べられています。伝道者は神から離れた人生の「空しい」現実に向き合わせて、私たちがその人生を神からの賜物として受け止め、神を恐れて生きるようにと教えているのです。   [3節以降の解説は説教集を見てください]



          このメッセージは2023.3.5のものです。