使徒パウロとガラテヤの諸教会 ガラテヤ1章1-5節

 昨年からパウロの手紙の十三通の中から六つを取り上げてきました。今回は、その七通目として「ガラテヤ人への手紙」をともに見ていきましょう。手始めに、誰が(差出人)、誰に(宛先)、いつ(年代)、どこで(場所)、どのような目的で書いたのかを見ていきましょう。

 第一に、この手紙の著者は誰でしょうか。「パウロ」です(1節,5:2)。共同差出人は「私とともにいるすべての兄弟たち」となっています(2節)。他の手紙では、共同差出人として特定の個人名(テモテ、シルワノ、ソステネ)が出てきますが、不特定の「すべての兄弟たち」となっているのは、この手紙だけです。

 ここでパウロは自分が「使徒」であると名乗っています。「使徒」(アポストロス)とは「遣わされた者」という意味で、主によって選ばれた主の代理人です(参 マルコ3:14)。パウロは自分の使徒の起源が、人間によるものではないことを、二重の否定(直訳「人々からではなく、人を通してでもなく」)を用いて強調しています。そして、次には「イエス・キリスト」と「父なる神」によるものであることを肯定的に主張しています。なぜ自分の使徒の神的権威を主張するのでしょうか。自分の権威を誇りたいからではありません。自分が宣べ伝えた福音が神からのものであることと結びついているからです(参 1:11,12)。

 次に誰宛に書かれたのでしょうか。「ガラテヤの諸教会」とあるように、ガラテヤ(現在のトルコ)にある複数の会衆が宛先です。パウロの宣教によって誕生した(参 1:8,4:13)、主に異邦人たちからなる教会です。

 「ガラテヤ」がどの地域を指すのについては二つの説があります。一つは「南ガラテヤ説」です。ローマ帝国の属州としてのガラテヤ地方です。この説に立つなら、パウロの第一回伝道旅行(使徒13,14章)で誕生したピシディアのアンティオキア、イコニオン、リステラ、デルベの諸教会が入ることになるでしょう。もう一つは「北ガラテヤ説」です。紀元前3世紀に現在のトルコの中央部に移住してきた人々の子孫のガラテヤ人たちが主に住む地域を指します。パウロは、第二回伝道旅行と第三回伝道旅行で「ガラテヤ」を通ったことがわかっていますので(使徒16:6,18:23)、そのときに教会が設立された可能性があります。

 いつ、どこで書かれたのでしょうか(このポイントについては省略します。後で、説教集を見てください)。

 最後に、どのような目的で書かれたのでしょうか。パウロの手紙の多くは自分が設立した教会宛てです。自分が教会を離れた後も、それらの教会を指導するために手紙を書いています。

 最初のクリスチャンたちはほとんどがユダヤ人でしたから、旧約の律法(たとえば「割礼」、神との契約のしるし[創世記17章]。ユダヤ人の男性なら生まれた直後に割礼を受けている)のことは問題になりませんでした。しかし、福音が異邦人に対して拡大していくなかで、救われるためには異邦人に対しても律法が命じていることを守らせる必要があると教える人たちが出てきました(参 使徒15:2)。ガラテヤの諸教会にもそのような人々が教会に影響を及ぼし始めていました。救いが信仰だけによるか、それとも信仰プラス行いなのか、それは救いの本質に関わる問題です。そのような誤った教えの影響を受けて、真の信仰から離れようとしていたガラテヤのクリスチャンたちを正しい信仰へと導くために、またさらなる霊的な成長(参 4:19、5:16)を願って記したのが、このガラテヤ人への手紙です。


                    このメッセージは2022.10.9のものです。