唯一の福音 ガラテヤ1章6-10節

 今回の段落のテーマは「福音」です。ところで、「福音」とは何でしょうか。それは「良い知らせ」という意味です。良い知らせの素晴らしさを理解するためには、「悪い知らせ」が何かを理解する必要があります。たとえば、いのちに関わる深刻な病気の告知をされるなら、それは「悪い知らせ」です。しかし、その病気を完治させる薬がありますので安心してください、と言われるならそれは「良い知らせ」です。

 私たちにとっての「悪い知らせ」とは、私たちが罪という深刻な問題を抱え、その罪のもたらすさまざまな悲惨さの中にあり、またその罪ゆえに神の御怒りの対象(参 エペソ2:3)であり、「滅び」に向かっているということです。しかし、神はキリストをとおして、その罪に対する赦しの道を備え、罪に打ち勝つ力を与えてくださっています、しかも、それは何かわざや功績を積むことによってではなく、キリストを信じるだけ(恵み:受けるに値しないものが受けるあわれみ)で、あなたのものになるのです、と言われるなら、それは「良い知らせ」でなくて何でしょうか。パウロはエペソの長老たちへの告別の説教の中で「神の恵みの福音」(使徒20:24)という言葉を使っていますが、「福音」は恵みによってもたらされる「良い知らせ」なのです。

 通常、パウロは手紙の挨拶の後に感謝を記していますが、この手紙では感謝のことばがなく、早速本題に入っています。それは「福音の真理」が(2:5)が危機にさらされていたからです。6節の「私は驚いています」は、単なる驚きの表明ではなく、叱責の思いが込められています。

 パウロの驚きは、ガラテヤのキリスト者たちが偽教師たちによって「ほかの福音」へと移って行こうとしていたからです。パウロは7節で、すぐにそれは「ほかの福音」ではなく、誤った福音であることを指摘しています。なぜなら、パウロたちが「宣べ伝えた福音」(8節)、またガラテヤのキリスト者たちが「受けた福音」(9節)以外に「福音」はないからです。

 パウロは偽教師たちを「あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たち」と指摘しています。ここでは、彼らがどのように福音を変えようとしているかについては説明していませんが、この手紙を読み進めていくうちにそれが明らかになっていきます。彼らはパウロたちが宣べ伝えた福音には足りないものがあり、それを補うためには、割礼を受けて旧約の律法を守る必要があると教えていたのです。

 パウロは誤った福音を宣べ伝えようとする者たちに「のろい」(アナセマ)を宣言しています(8,9節)。なぜパウロは激しい怒りをあらわしているのでしょうか。

 一つは救いの条件に信仰の他に何かの行いが必要であると説くことは、キリストの御業(死)の完全さを否定するものであり(2:21)、恵みによる救いを否定することになるからです(参 5:4,エペソ2:8)。

 もう一つは、誤った福音は、人を救いへと導かず、滅びへと導くものだからです。

  いつの時代も誤った福音を通して人々を滅びへと導く偽教師たちが存在しています。福音を伝える手段は時代とともに変えていいでしょう。しかし、福音そのものを決して変えてはなりません。時代が変わっても福音はただ一つだからです(参 使徒4:12,ヨハネ14:6)。

          このメッセージは2022.10.23のものです。