信仰の交わり ピレモン 1-7節

 ・・・あなたの信仰の交わりが生き生きとしたものとなりますように(ピレモン6節)。

 新約聖書にはパウロの手紙が十三通ありますが、その中で一番短い手紙は「ピレモンへの手紙」です。パウロがこの手紙の差出人であることは、1、9、19節から明瞭です。パウロはこの時、投獄されていました。そのことは10節の「キリスト・イエスの囚人となっている私パウロ」という言葉などからわかります(1,9,10,13,23節)。パウロが獄中で記した手紙(獄中書簡)は、この「ピレモンへの手紙」を含めた四通です(エペソ、ピリピ、コロサイ)。

 「使徒の働き」によるとパウロが投獄されていたのはカイザリヤ(24章)とローマ(28章)においてです。パウロがピレモンに、釈放されることを期待しつつ宿の用意を依頼している事(22節)やこの手紙に登場する人物、例えば、「オネシモ」(10節)、「アルキポ」(2節)、「エパフラス」(23節)、「マルコ」、「アリスタルコ」、「デマス」、「ルカ」(24節)が、「コロサイ人への手紙」にも登場し(4:8-17)、状況が重なることを考えると、この手紙が執筆されたのはローマにおける投獄だと思われます。

 「コロサイ人への手紙」によると、パウロは「コロサイ人への手紙」をティキコに託して届けさせ、その際にオネシモを同行させようとしています(4:9)。「ピレモンへの手紙」はピレモンの奴隷であるオネシモを主人であるピレモンのもとへと送り返すにあたってのとりなしの手紙です。パウロはティキコにオネシモとこの手紙を託したと考えられるでしょう。

 手紙の受取人であるピレモンとパウロの関係については、19節の「あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債がある」(第三版「あなたが今のようになれたのもまた、私による」)とのことばから、ピレモンはパウロによって救いへと導かれたか、またパウロから霊的な指導を受けた弟子であったと考えられます。自分の家を集会場として開放していたこと(2節「あなたの家にある教会」)や奴隷がいたことなどから、彼は裕福な人であったと推測されます。パウロは手紙の本題に入る前に、彼のことを祈りに覚えながら彼について感謝していることを記しています。一つは彼の主イエスに対する信仰、もう一つは彼の兄弟愛についてです(第三版 参 コロサイ1:4,エペソ1:15)。彼は主にある聖徒たちに対する愛を実践し、彼らを力づけていました(7節 直訳「聖徒たちの心が安らかにされたからです」)。パウロはそのことを聞いていましたので、「あなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました」と言うことができたのでした。

 この手紙には、キリストにある関係を示す「兄弟」(他に「姉妹」2節)という言葉が何度も出てきます。パウロは手紙の差出人に名前を連ねるテモテに対して(1節)、手紙の受取人であるピレモンに対して(7、20節)、彼の奴隷であるオネシモに対して(16節)用いて、自分らが共に主にある兄弟であることを思い起こさせています。福音が新しい関係へと導き入れているのです。それは「信仰の交わり」(6節)、つまり、信仰によって生みだされた交わりに他なりません。

 クリスチャンたちの交わりは、お互いに共通の趣味をもっていて気があうからといった関係やビジネスのような利害によって結ばれた関係ではありません。同じ信仰によって神から生まれた兄弟姉妹という関係です。「ピレモンへの手紙」のテーマは「交わり」です。この交わりを土台として、パウロは8節以降、手紙の本題である奴隷オネシモのためのとりなしへと入っていくのです。


                         このメッセージは2021.12.26のものです。