良いわざの根拠 救い テトス3章1-8節

 神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました(テトス3章5節)。


 二章と三章の今回の箇所は、構成がよく似ています。というのは、まず行動(実践)の勧告があり(2:2-10,3:1-2)、その後で行動の根拠(神学)が示されているからです(2:11-14,3:3-7)。

 では、パウロはテトスにどのようなことを勧告しているのでしょうか。1節の「注意を与えて」と意訳されているのは、「思い起こさせなさい」(共同訳)という言葉です。おそらく、そのことは以前に指導していた事だったと思われます。具体的には、社会においてキリスト者として統治者たちや未信者の人たちとどのように関わるかということです(1,2節)。

 パウロは良い市民として統治者たちに従い、協力的であるように勧告しています(1節)。パウロはテモテに対して「王たちと高い地位にある」人々のために祈るように勧告していました(Ⅰテモテ2:1)、ローマ人への手紙では「上に立つ権威に従うべきです」と勧告しています(ローマ13:1-)。聖書は、統治者たちや政府に対して従順であることを勧めています。もちろん、それは無条件の従順ではなく、神が命じることに反しない限りにおいてであることは言うまでもありません(参 使徒5:29)。

 未信者との関わりにおいては、四つの態度を挙げています(2節)。それらを簡単に言うならば、キリスト者たちは人との関係を破壊する者ではなく、むしろ、だれに対しても礼儀正しく、思いやりのある態度で接しなさいということになるでしょう。

 1,2節のパウロの勧告の根拠を簡単に要約するならば、神が「救ってくださった」からということになるでしょう。3節以降には救いの神学が短い節の中に凝縮されています。救いに関して、私たちはどのような事を知ることができるでしょうか。

 第一に、なぜ救いが必要かということです(3節)。人が自分の救いの必要性を理解することは容易ではありませんが、そのためには、かつての自分がどのような者であったか、つまりいかに堕落していたかという事実に向きあわなければなりません。パウロは「私たちも以前は」と、自分をも含めて、人の堕落した状態を正確に診断しています(参 エペソ2:1-)。

 第二は、救いの源泉はどこにあるかということです。それは「神のいつくしみと人に対する愛」です(4節)。そして「現れた」は、2章11節にも使われていた動詞で、ここでもキリストの来臨を指しています(参 Ⅱテモテ1:10)。神はご自身の救いの計画を、そのひとり子を遣わし、その方の十字架の犠牲によって実現されました。キリストの来臨によって神のいつくしみと人への愛はより鮮明になったのです。

 第三は、救いの根拠は何かということです。「私たちが行った義のわざによってではなく」という言葉によって、人間の行いがはっきりと否定されて(参 エペソ2:8-9、Ⅱテモテ1:9)、「神は、・・・ご自分のあわれみによって」(参 Ⅰテモテ1:16)と、その根拠が明らかにされています(5節)。

 第四は、救いにおける聖霊のお働きは何か、また救いとは何か、ということです。〔第四と第五のポイントの説明は説教集で確認してください〕

 第五は、救いの目的は何かということです。

 最後に、救いの証拠は何かということです。それは「良いわざ」です(8節)。どんな「良いわざ」も救いの根拠にはなりませんが、「良いわざ」はその人の救いの証拠となるように「神を信じるようになった人々」に期待されているものなのです。「良いわざ」を通して神に栄光が帰されますように。


              このメッセージは2021.11.28のものです。