信徒たちへの勧告 テトス2章1-10節

 しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを語りなさい(テトス2章1節)。


 パウロはテトスに偽教師について警告し、その対処を命じた後「しかし、あなたは」と命じています(1節)。偽教師とは対照的な指導と生き方がテトスには期待されていることがわかります。パウロはテトスに「健全な教えにふさわしいことを語りなさい」と命じていますが、「ふさわしい」とは「~に一致した」(NIV)という意味です。健全な教えに一致した生き方とは具体的にどういうものでしょうか。取り上げられているカテゴリー順にみていくことにしましょう。

 第一は「年配の男の人」です。彼らの一つ目の「自分を制し」とは、自分をコントロールでき、冷静でいられるということです。二つ目の「品位を保ち」とは、気高く立派であるということです。三つ目の「慎み深く」とは、思慮深く分別があるということです。四つ目の「信仰と愛と忍耐において健全である」とは、神への信頼、隣人への愛、試練を耐え抜くことにおいて年齢にふさわしい成熟さを示しているということでしょうか。

 第二は「年配の女の人」です。一つ目の「神に仕えている者にふさわしくふるまい」とは、文字通りには「神殿に仕える祭司のように信仰深く振舞う」という意味です。二つ目の「中傷せず」とは、悪口を言わないということです。三つ目の「大酒のとりこにならず」とは、「酒の奴隷」(RSV)にならないということです。四つ目の「良いことを教える者であるように」とは、若い女の人たちの指導を念頭においたものでしょう。彼女たちが若い世代の女性たちの良き模範や助言者として期待されていることは、「そうすれば・・・諭すことができます」という言葉からもわかります。

 第三は「若い女の人」です。結婚していることを前提としているのでしょう。一つ目と二つ目は「夫を愛し、子どもを愛し」です。どのように愛すべきかは説明されてはいませんが、その後に続く言葉を含めると良い妻であり、良い母でありなさいということが基本にあり、彼女たちの役割の中心が家庭であることがわかります。三つ目の「慎み深く」は年配の男の人と同じです。「貞潔で」とは、貞節を守るということです。「家事に励み」(直訳「家で働く」)とは、共同訳では「家事にいそしみ」と訳されています。「善良」とは、第三版では「優しく」と訳されていました。「夫に従順であるように」とは、エペソ5章22節やコロサイ3章18節にも繰り返されています。そして、彼女たちがそのように振舞う目的を「神のことばが悪く言われることのないようにするため」としています。

 第四は「若い人」です(6節)。「あらゆる点で思慮深くあるように」と勧められています。「思慮深くある」(動詞ソーフロネオー、2,5節の「慎み深く」は形容詞ソーフローン)とは、経験が不足していて、性急に行動してしまう若者に思慮深くあるようにということでしょう。

<第五の「テトス」個人、第六の「奴隷」たちについては、牧会書簡説教集『健全な教えと敬虔な生活』をごらんください>

 言い訳にしてはいけませんが、成長は時間を要する過程であることも事実です。信仰者として年を重ねて成熟し、若い世代から私たちも「あのようになりたい」と言われるなら何と素晴らしいことでしょう。また未信者の人たちはほとんど聖書を読まないかもしれません。しかし、彼らはキリスト者たちの実際の振る舞いや生き方を通して間接的に聖書を読んでいるのです。私たちの振る舞いや生き方を通して「神のことばが悪く言われ」ないだけなく、「神の教えを飾るようになる」なら、それもまた何と素晴らしいことでしょう。


                        このメッセージは2021.11.7のものです。