エステル記について エステル記1章1-2節

 クセルクセスの時代、クセルクセスが、インドからクシュまで百二十七州を治めていた時のことである(エステル記1章1節)。


 これからエステル記を取り上げたいと思っています。初回は、エステル記全体を理解するために、エステル記の時代、主な登場人物、目的の三つを見ていくことにします(この週報では、スペースが限られているので、エステル記の時代と目的だけを掲載します)。

 まず、エステル記の時代については、1章1節に「クセルクセスの時代」とあります。ペリシアの歴代の王は、キュロス(BC559-530年)、カンビュセス(BC530-522)、ダレイオス(BC521-486年)、そして、クセルクセス(BC486-465年)と続きます。「クセルクセス王」が即位したのは、エルサレムがバビロンによって陥落してからちょうど百年後のことになります。

 ソロモン王の後、イスラエル王国は南北に分裂し、北王国イスラエルはアッシリアに滅ぼされ(BC722年)、南王国ユダはバビロンに滅ぼされました(BC586年)。そのバビロンを滅ぼしたのが、ペルシアの最初の王となったキュロスです(BC539年)。彼はバビロンへ捕囚となったユダヤ人たちが故国に帰還して神殿を建てる許可を出しました(エズラ1:1-3)。その法令を受けてエルサレムに帰還したのは一部の民でした。エズラ記前半(1-6章)には、その民が神殿を完成させる様子が記されています。妨害によって中断していた神殿建設がようやく完成したのは、クセルクセス王の父ダレイオス王の時代のことです(BC516年、エズラ6:14)。エステル記は、エルサレムに帰還しなかったユダヤ人の子孫が、民族存亡の危機からどのように救出されたかを記しています。その舞台は、王宮があった「スサ」(現在のイラン、ペルシア湾の北約240キロ)です。エステル記を読むと、その王宮の様子を垣間見ることができます。

 次に、エステル記の目的は何でしょうか。エステル記は、今日においてもユダヤ人たちが祝っている「プリムの祭」(9:23-32)の歴史的な起源を明らかにしていることは事実ですが、それがエステル記の目的ではないように思います。

 エステル記の特徴の一つに、神への言及が一度もないことがあげられます(雅歌も)。しかし、神の名が出てこなくても、そこには見えない神の御手を見ることができます。エステル記を読む人は、神を意識しないでは読むことはできないのではないでしょうか。登場人物たちの一つ一つの行動が組み合わされて、神の民を根絶やしにしようとする企てが覆されていくのを私たちは見ることになるのです。

 出エジプト記もエステル記も神の民の救出の書と言えるでしょう。しかし、出エジプト記には大いなる神の御手が見える奇跡を通してあらわされている一方で、エステル記の方では私たちが目をみはるような奇跡は一つも出てきません。そこにあるのは普通の出来事の積み重ねです。私たちは知識として神の摂理を知っていても、日常生活を送る中で、神は本当に私の人生を導いておられるのだろうか、神がどのように働いておられるのかよくわからない、と思うことがあるかもしません。このパンデミックの中においては、特にそうかもしれません。

 しかし、神はエステル記を通して、ご自身の見えない御手を信じるようにと私たちを励ましておられるのではないでしょうか。神の御手を信じるとは、見える状況にかかわらず、「神のものとされた民」(Ⅰペテロ2:9)を神は見捨てず、支えて導いてくださること、すべてのことを働かせて益としてくださることを信頼して歩むことではないでしょうか(ローマ8:28)。


                        このメッセージは2021.8.22のものです。