苦しみを伴う働き Ⅱテモテ2章1-7節

 初代教会から今日までを数えると約2千年の期間があります。今私たちがキリスト教信仰を持っているということは、多くの人たちによって福音をはじめとする信仰の真理がしっかりと受け継がれてきたことを意味します(もちろん、その継承は神さまの守りの御手があってのことですが)。

 パウロはテモテに「委ねなさい」と命じています(2節)。何を委ねなさい、と言っているのでしょうか。「私から聞いたこと」です。1章13節には「私から聞いた健全なことば」とあり、14節では「委ねられた良いもの」とあります。それは福音をはじめとするキリスト教信仰の真理です。「多くの証人たちの前で」とは、テモテがパウロから聞いたことは内密に伝えられたことではなく、多くの人によって証明されていることを意味しています。

 パウロは、誰に委ねるように命じているのでしょうか。だれでもいいとは言っていません。二つの資格をあげています。一つは「教える力のある人」(参 Ⅰテモテ3:2)であり、もう一つは「信頼できる人」です。重要な真理の継承のためには大切なことです。主イエスも使徒たちを選んで彼らの訓練のために大きな時間と労力を彼らに注がれました。

 パウロは自分がテモテに委ねようとしている働きが苦しみを伴うものであることを三つの比喩を用いて説明しています。

 一つ目の比喩は、「キリスト・イエスの立派な兵士」です。獄中にあったパウロにとって皇帝に忠誠を誓ったローマの兵士たちは身近な存在だったに違いありません。パウロはエパフロディトやアルキポを「戦友」(ピリピ2:25、ピレモン2)と呼び、先の手紙でも「立派に戦い抜きなさい」(1:18共同訳)と命じていました。兵士の特徴は、一つは務めに専心するということです。兵士は「自分の費用で兵役に服す」ることはありません(Ⅰコリント9:7)。また、この世のことに気をとられていたならば本来の務めに専心することはできないでしょう。もう一つは、自分を兵士へと募った方(キリスト)を喜ばせるということです。

 二つ目は「鍛えられたアスリート」です。競技をする人にとって大切なことは「規定に従って競技をする」ということでした。たとえば、古代競技(オリンピック)に参加するためには、十ヶ月に及ぶトレーニングが課せられていました。必要な訓練を怠る者は栄冠を得るどころか、参加さえもできなかったのです。活躍する選手に人々は喝采を送りますが、その陰には厳しい鍛錬があったことを見逃すことができません。働き人にも敬虔のための「自己鍛錬」(Ⅰテモテ4:7)が不可欠です。

 三つ目は「勤勉な農夫」です(6節)。「農夫」の「労苦している」とは「骨折って働いている」という意味です。古代の農業は気象条件など自然の状況に大きく左右されていましたが、それでも豊かな収穫を手にしようとしたなら、勤勉さが必要でした。

 三つの比喩には、それぞれ異なる強調点がありますが、共通するものは「苦しみ」です。パウロはテモテに「苦しみをともにしてください」(3節)と求めています。苦しみをともにするためにテモテが必要としていたことは、強められることです。自分の力で直面する苦しみに立ち向かおうとするなら挫折してしまうでしょう。だから、パウロは「キリスト・イエスの恵みによって」と命じているのです。パウロ自ら恵みによって強められて働きをした者として(参 Ⅰコリント15:10)、テモテに命じているのです。


                      このメッセージは2021.7.4のものです。