エゼキエル 捕囚の地で召された預言者

 カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルに主のことばが確かに臨んだ(エゼキエル1章3節)。

 エレミヤが預言者として召されてから30年以上が経過した後に、預言者として召されたのが預言者エゼキエルです(BC627年~BC593年)。両者は、共に祭司の家系に誕生しましたが、エレミヤはエルサレムで活躍をし、エゼキエルは捕囚となった地のバビロンで活躍をしました(ちなみに、ダニエルはエゼキエルよりも8年ほど前にバビロンへ捕囚となり、バビロンの宮廷で活躍した)。エゼキエル書に出てくる日付から、エゼキエルはおそらく30歳で預言者として召され(1:1)少なくとも22年その働きをしたことがわかります(29:11 BC571年)。

 エゼキエルが預言者として召されたできごとは、エゼキエル書1-3章にでてきます。彼はエホヤキン王の時代に捕囚となった人々の一人で(Ⅱ列王24:14,15)、捕囚となった五年目に神さまから預言者としての召しを受けました。捕囚となった民はケバル川(ユーフラテス川から引かれた人口の灌漑用の運河、または水路)の近くの「テル・アビブ」(3:15)に居留していました。彼はそこで同じ捕囚となった同胞の民に神のことばを語りました(3:11)。

 エゼキエル書1章には彼が見た幻が描写されています。エゼキエルはケバル川のほとりで、四つの顔と四つの翼をもつ生きもの(のちにそれはケルビムであることが分かる 10:15,20)のはるか上の方に「王座に似たものがあり」、そこに座しておられる方の栄光を拝し、その方の御前にひれ伏しています(1:28)。そして、その方は、エゼキエルに「人の子よ」と呼びかけ、「わたしはあなたをイスラエルの民に、わたしに反抗する国民に遣わす」と言われ、彼らが「聞く聞かないに関わりなく、あなたはわたしのことばを彼らに語れ」と命じられました。そして、さらに「彼らと彼らのことばを恐れるな」、彼らが反逆の家であるように、「あなたは逆らってはならない」(2:8)と注意されています。

 主が伸ばされた手には「一つの巻物」があり、そこには表にも裏にも「嘆きと、うめきと、悲痛」の文字が記されていました。エルサレムや神殿は捕囚となった民にとって憧れであり心の支えで、そのエルサレムや神殿が敵の手によって滅ぼされることをエゼキエルは民に語らなければならなかったからです(4-24章)。エゼキエルは主が命じられたように、その巻物を食べました(3:3)。幻の中におけるこのような出来事は、預言者が主の言葉を語るためには、まず神からのことばをしっかりと自分のものとしなければならないことを示すためであったと思われます。

 エゼキエルは、自分が預言したとおりに、民の希望であったエルサレムがバビロン軍に包囲され(24:1)やがては攻め滅ぼされたことを(33:21)、バビロンにおいて知らされることになります。エルサレムが滅ぼされた後の彼のメッセージは、かつてのような裁きが主題ではなく、イスラエルの回復の希望のメッセージとなっていきます(33-48章)。神が汚されたご自身の御名のために働かれるからです(36:21、32)。神は罪をお裁きになりますが、憐れみ深い方です。そして、裁きにしろ、回復にしろ、ご自身の為すわざを通して、すべての民が「わたしが主であることを知る」(エゼキエル書に繰り返されている言葉、認知の定型文)ことを求めておられるのです。

                        このメッセージは2020.8.2のものです。