エレミヤ(2) 希望のメッセージ

 見よ、その時代が来る - 主のことば - 。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ(エレミヤ31章31節)。


 エレミヤは40年以上にわたって預言者としての働きを続けましたが、彼が語ったメッセージを大きく三つに分類することができるでしょう。一つは、神に立ち返れという悔い改めのメッセージ。二つ目は、バビロンに服して生きよ、というメッセージ。三つ目は希望のメッセージです。そのメッセージはさらに回復と新しい契約に分けることができます。今回は、希望のメッセージを取り上げたいと思います。

 まず、回復(捕囚となった民がやがては祖国に帰還することができるという約束)のメッセージは、エレミヤが故郷のアナトテの畑を買い戻したこと(象徴的行動)によってはっきりと示されています(32章)。エルサレムはこの時、バビロン軍に包囲され、まさに陥落寸前の状況でした(32:2,24,25)。国が滅び、その領土が敵のものになろうとする状況の中で畑を購入することは無駄な行為です。しかし、神はエレミヤの行動を通して、捕囚となった民が帰還し(37)、町が再建され、やがてはかつてのように土地が売買されるようになることを予告されたのです。絶望的な状況の中で、捕囚となった民が祖国へと帰還し、町を再建するという希望は、「わたしにとって不可能なことが一つでもあろうか」と言われるお方によって成就するのです。真の希望は歴史を支配しておられるお方から来るのです。 

 もう一つの希望のメッセージは、今日の私たちと非常に関わりのあるもので、新しい契約についての約束です。エレミヤは人の罪の深刻さを様々なイメージを用いて描いています(参 2:23,13:23,17:1,9)。そのことから分かることは、人は自分の罪を自分で解決できないということです。私たち罪人に必要なのは、私たちの内面(心)が変えられることです。でもどのようにして私たちの内面が変えられるというのでしょうか。

 31章31節には「新しい契約を結ぶ」ことが約束されています。しかし、いつ、どのようにしてそれが結ばれるかは明らかにされてはいません。ただ新しい契約によってもたらされる祝福として三つのことが示されています。一つ目は信じる人の心に律法が書き記されるということです。人が律法を喜び、それを行なうことができるということです(参 ローマ8:4)。二つ目は神を知るようになるということです。神についての知識を知るということではなく、親しい神との人格的な交わりを持つことができるということです。三つ目は永遠の赦しです。

 新しい契約に対して古い契約として念頭にあるのは、出エジプトした後シナイ山の麓で結ばれたシナイ契約です(31:32、出エジプト24章)。古い契約の問題点は、契約の内容ではなく、民が契約を守ることができなかったということです。エレミヤ書31章31-34節は、ヘブル人への手紙8章8-12節に引用されています。シナイ契約のことが「初めの契約」(8:7,13,9:1,15,18)と呼ばれていて、初めの契約が機能を果たし終え、新しい契約に道をゆずったことが説明されています。

 初めの契約においても血によってそれが結ばれましたが(ヘブル9:18)、新しい契約においても、キリストがご自身の血をただ一度だけささげられたことによって結ばれました。主イエスは最後の晩餐の席において、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です」(ルカ22:20節、参 Ⅰコリント11:25)と言われ、エレミヤを通して約束された新しい契約がご自身によって成就することを明らかにしておられます。

                      このメッセージ2020.7.26のものです。