自覚的信仰への転機 創世記28章1-22節


 創世記28章には、ヤコブが自覚的信仰をもって歩み始める転機が描かれています。この章は、五つに分けることができます(説明についは、説教集見て下さい)。この章からどのようなことを読み取ることができるでしょうか。

 第一に、結婚相手の条件として何を重視したらいいかということです。イサクとリベカは、息子エサウがカナン人の娘たちと結婚したことが「悩みの種」(26:35 共同訳「心の痛み」)となっていました。リベカの「生きているのがいやになりました」(27:46)という訴えに、イサクも同意し、ヤコブをパダン・アラムに送り出す決断をしています(28:1, 8)。イサクは、この時あらためて、父アブラハムがカナン人の娘たちからではなく、親族の中から妻を迎えた理由を悟ったことでしょう(24:3–4)。ここで問題とされているのは民族の違いではなく、先住民の異教的文化に同化してしまう危険性です(参 申命7:3-4)結婚において、個人的な好みや経済的な条件も重要かもしれません。しかし、より重要なのは、「共に神の前に歩んでいける相手だろうか」という霊的な視点です。


 第二に、神とともに歩む人生において、自覚的信仰を持つことは重要な一歩であるということです。祖父アブラハム、父イサクの信仰については、これまでの創世記の記述から明確に読み取れます。ヤコブは、そうした信仰の家系に生まれ育ちました。しかし、それにもかかわらず、これまでのヤコブの言動からは、彼自身の信仰をほとんど見出すことができません。父イサクに対して「あなたの神、主」(27:20)と告白できても、「私の神」と告白できる者ではなかったのです。

 クリスチャンホームに育つ子どもたちは、生まれた時から教会に通い、信仰的環境で育ちますが、自覚的信仰ではないために親の信仰に反発したり、信仰生活を窮屈に感じたりすることが少なくないかもしれません。しかし、もし福音が正しく理解され、自覚的な信仰をもって神と向き合うことができたなら、それは人生の転機となることでしょう。ヤコブにとって、このベテルでの体験が、そのような信仰の出発点となったのです。

 第三に、ふさわしくない者が祝福の継承者とされる主の恵みです。創世記25章から28章5節までの流れを読むと、神の計画の中で、兄エサウではなく弟ヤコブが「アブラハムの祝福」(28:4)を継承する者であることが明らかにされていきます。そして、ここでは夢の中とはいえ、ヤコブ自身が、誰かを介することなく、直接神から祝福の言葉をいただいていることがわかります。これまでのヤコブの歩みを見れば、祝福を受けるにふさわしいとは言えない人物でした。それでも神は、ご自身の主権によってヤコブを選ばれたのです。このことは、私たち自身にも当てはまります。私たちもまた、ふさわしくない者であるにもかかわらず、神の恵みによって選ばれ、祝福にあずかる者とされているのです。

 ヤコブが見た夢の中の「はしご」(28:12)は、天と地をつなぐものの象徴です。それは、「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります」(ヨハネ1:51)というイエスの言葉を思い起こさせます。この「はしご」は、罪深い地と聖なる天とをつなぐものの象徴であり、まさに、神と人とをつなぐ唯一の仲介者、イエス・キリストご自身を象徴していると言えるでしょう(参Ⅰテモテ2:5)。私たちも、ヤコブと同様、ふさわしくない者であるにもかかわらず、キリストゆえにアブラハムの祝福にあずかっているのです。であるならば、私たちも恐れと献身をもって神に応答すべきではないでしょうか。

         このメッセージは2025.6.8のものです。