パウロの福音の起源 ガラテヤ1章11-24節

 

 パウロは誤った福音を伝える者たちに厳しい呪いを宣言しました(8,9節)。では、パウロは正しい福音をどのようにして得たのでしょうか。

 パウロは「兄弟たち」(11節)と呼びかけ、これまでの強い口調を少し改め、これらから自分が語ろうとすることに注意を促しています。そして、「私が宣べ伝えた福音」の起源を明らかにしています。12節の「それを人間から受けたのではなく、また、教えられたのでもありません」は、11節の「人間によるものではありません」を説明したものでしょう。人間を起源とするものではないことを、二重に否定したあと、「イエス・キリストの啓示によって受けたのです」と肯定的な言い方をしています。このような表現は1節の使徒職においても用いられていました。パウロは自分の派遣と使信が神的権威を持つことを強調していることがわかります。

 パウロは自分の福音が「イエス・キリストの啓示によって受けた」ことを説明するために15,16節bで、復活のキリストとの出会い(回心)の出来事を証ししています。13、14節では、回心前の自分がどのような者であったかを、16節b以降では、回心後の行動について説明しています。

 パウロは回心前の自分が二つの面で熱心であったことを証ししています。一つは教会を激しく迫害し、滅ぼそうとした者であったこと、もう一つはユダヤ教徒としての生活においてです。

 13,14節の主語は「私」です。しかし、15節になると主語は「神」に変わります。神は主導権をもってパウロを捕らえられて、その人生を180度変えられるのです。パウロが回心するのは、何かユダヤ教徒しての信仰に疑いを抱いたり、律法を守ることに行き詰まりを感じていたからではありません。むしろ、クリスチャンたちのような異端的な信仰を野放しにしておくことはできないとして躍起になっていた時だったのです。

 パウロの回心はとてもユニークなものであり、一般のクリスチャンの回心のモデルとなるものではありません。しかし、パウロを含めてすべてのクリスチャンの回心に共通するものがあるとすれば、それは「恵み」(6,15節)です。一方的な力強い神の恵みの御手によってパウロは回心へと導かれたのです。パウロは回心とともに、「異邦人の間に御子の福音を伝える」という宣教の召命にもあずかりました。

 パウロが回心後どのように行動したかが16節b以降に記されています。ここでも「~せず・・・せず」という二重の否定が用いられています。最初の「血肉に相談せず」の「血肉」とは、人間を指す慣用句です。次の「私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず」とは、例えば使徒のペテロたちとは会わなかったということです。では、どこに行ったのかと言うと「アラビア」へ行ったことを証ししています。

 パウロが実際にエルサレムに上ったのは回心から三年も経過してからでした。それも限られた期間(1日間)であり、ケファ(ペテロ)やヤコブなどの限られた人としか会いませんでした。パウロはどうして、このようなことを述べているのでしょうか。それは自分の福音の起源が、エルサレムの使徒たちに依存するものではないということを証明したいからです。

 パウロのような迫害者が変えられるということは信じられないような出来事です。しかし、神は今も人を変える事がおできになります。真の福音は、またみことばを通して正しい御子が啓示されるときに(16節)、神の恵みは人を変えるのです。


                このメッセージは2022.10.30のものです。