神の人テモテへの勧告 Ⅰテモテ6章11-16,20-21節

 しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい(Ⅰテモテ6章11節)。

 にせ教師たちの特徴を述べた後、パウロはテモテに対して、「あなたは」(原語では11節の文頭にある)と、にせ教師たちとは異なる生き方を勧告しています。なお11節では改めて、「神の人よ」、20節では「テモテよ」と名前で呼びかけています。「神の人」(Ⅱテモテ3:17)という表現は、旧約聖書ではモーセやダビデや預言者たち(サムエル、エリヤ、エリシャなど)に使われています。神によって立てられた神の働き人としての自覚を促し、それにふさわしい歩みをするように励ましているのです。では、パウロの具体的な勧告をみていくことにしましょう。

 第一は「避けなさい」ということです(11節)。「これらのこと」とは、にせ教師たちの高慢や貪欲を指しています。あることを「避け」、あることを「追い求めなさい」という言い回しは、Ⅱテモテ2章22節にもあり、そこではテモテに「若い時の情欲を避け、・・・義と信仰と愛と平和を追い求めなさい」と勧めています。

 第二は「追い求めなさい」ということです(11節)。六つのことがらが上げられています。「義」とは「正しさ」で、「敬虔」とは、牧会書簡によく出てくるキーワードです。「信仰」とは神への信頼で、「信仰」は次の「愛」と一緒によく出てきます(1:5,14,2:15,4:12など)。「忍耐」とは困難な状況にあってねばり強くやり抜くこと、「柔和」とは「優しさ」と言い換えていいでしょう。

 第三は「立派に戦いなさい」ということです(12節)。「戦いなさい」という言葉は、競技における「闘い」や戦争における「戦い」の両方に用いられます(共同訳「闘いを立派に闘い抜いて」)。どのようなたぐいの戦いを念頭においているのでしょうか。クリスチャン生活における倫理的な罪との戦いを排除するものではありませんが、「信仰の」とあるので、それは真理のための戦いと言い換えたらいいでしょう。にせ教師たちは、「違ったことを教え」(3節)「真理を失い」(5節)「信仰から外れ」(21節)、自分たちこそは「知識」(20節、グノーシス)を所有していると主張していました。しかし、それは使徒たちが教えた正統的な教義から外れたものでした。20節には、テモテに「委ねられたものを守りなさい」と命じていますが、「委ねられたもの」とは「福音」や「健全な教え」であり「真理」のことです。パウロはここで、テモテに正しい真理を保ち、守り抜きなさい、と命じているのです。

 パウロはテモテに命じるだけでなく、自らの最晩年の手紙において、同じ言葉を用いて「勇敢に戦い抜」(Ⅱテモテ4:7、共同訳「闘いを立派に闘い抜」)いた、と言うことができたのです。

 第四は「獲得しなさい」ということです(12節)。「永遠のいのち」はキリストを信じる時に与えられる賜物です(参 Ⅰテモテ1:16,ヨハネ3:16、ローマ6:23)。では、なぜ改めて「獲得しなさい」と命じているのでしょうか。救いの完成という意味では、それは待ち望んでいるものだからです。「しっかりと握っているように」という意味合いなのでしょう。

 最後は「命令を守りなさい」ということです(14節 共同訳「この命令を」)。「この命令」とは何を指しているのかについては意見がわかれますが、広い意味でこの手紙全体の命令としてよいのではないでしょうか。そして、神とキリストの御前と、またキリストの再臨(「キリストの現れ」)を意識しつつ、「汚れなく、非難されるところのな」い者として、この命令を守るようにとテモテに勧めているのです。

                        このメッセージは2021.5.16のものです。