イシュマエル 神は聞いてくだる 創世記16,21章

 さらに、主の使いは彼女に言った。「見よ。あなたは身ごもって男の子を産もうとしている。その子をイシュマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞き入れられたから。」(創世記16章11節)

 今回は、アラブ人たちの先祖であるイシュマエルを取り上げましょう。彼からどのような事を見出すことができるでしょうか。

 まず、アブラハムとサラが神の約束を待つことができなかったところから誕生してくるということです。イシュマエルが誕生する経緯は創世記16章に記されています。この時、アブラハムはカナンの地へやって来て10年、85歳、妻サラは75歳でした。神はアブラハムに子孫を地のちりのように(13:36)、空の星のように数多く増やすと約束しておられましたが(15:5)、いっこうにその約束は実現しそうにありませんでした。そればかりか二人は年老いていくばかりでした。それでサラは、当時の習慣にならって、夫に女奴隷ハガルを与えて誕生する子の母親になろうとしました。イシュマエルは、神の約束を人間的な手段によって実現しようとした夫婦の不信仰によって誕生してくることになるのです。

 次に、母の苦しみの叫びを聞かれた神によって命名された子であるということです。ハガルは自らの妊娠を知ると、奴隷の立場を忘れて女主人サラを「軽く見るようにな」ります。このことはアブラハム夫婦に緊張状態をもたらします。サラはこのような事態になったことで夫を責め、夫はハガルを「あなたの好きなようにしなさい」と言って、理解してくれません。一方ハガルは女主人のつらい仕打ちに耐えかねて自分の生まれ故郷のエジプトの方向である「シュル」へと逃亡します。そのハガルを主の使いは見出し語りかけ、「女主人のもとへと帰りなさい」、と現実的な助言をします。後先を考えずに出てきたけれども、身重の体でどうするのですか、自暴自棄になってはいけないよ、ということでしょう。そして、彼女が生む男の子を通して、多くの子孫を増し加えると約束して励まし、その子に「イシュマエル」と名付けるように命じました。「神は聞く」という意味です。先行きが全く見えない不安や孤独の中にあった彼女でしたが、神は彼女を見捨てられたわけではなかったのです。

 最後に、跡継ぎとして期待され育てられたにもかかわらず、追い出されるという経験をしなければならなかったということです。アブラハムとサラとの間にイサクが誕生するのはイシュマエルが14歳のときです。その一年ほど前に(17章)、神はアブラハムにイサクの誕生を告げておられますが、その時までイシュマエルは跡継ぎとしての期待をもって育てられてきました(17:18-)。しかし、イサクが乳離れしたときに開かれた宴会において、イシュマエルがイサクをからかったことによって、母ハガルと共に彼は追い出されることになってしまいます(21:8)。仮に、イサクの乳離れを3歳と仮定すると、イシュマエルはこのとき17歳です。幼児をからかったイシュマエルに問題がないわけではありませんが、期待をもって育てられながら、しまいには追い出されたことに理不尽さを覚えたのではないでしょうか。しかし、神はこのイシュマエルを見捨てておられたわけではありませんでした。追い出された母と子はベエル・シェバの荒野をさまよいますが、「神は少年の声を聞かれ」、いのちの危機を脱することができ、彼は大人へと成長していくことになるのです。

 人はだれも自分の生まれ育つ境遇を選択することはできません。仮に親から邪魔な存在として扱われるようなことがあったとしても、人の誕生は神の意志にもとづくものであり、神のご計画によります。人が自分の存在をしっかり肯定できるのは、「女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない」(イザヤ49:15)と言われる方によるのです。

                    このメッセージ 2020.10.4 のものです。