創造(1) 混沌から秩序へ 創世記1章1-13節
今回から三回にわたって、創世記1–2章を「創造」というシリーズで見ていきます。1回目は「混沌から秩序へ」、二回目は「人―創造の頂点」、三回目は「女―ふさわしい助け手」です。
創世記1–2章には、神による創造の出来事が記されています。日本では、進化論があたかも科学的に証明された真理であるかのように教えられているため、神による創造は古い神話のように考えている人も多いでしょう。
しかし、進化論と創造論の違いは、「科学」と「非科学(信仰)」の違いではなく、その前提となる世界観の違いにあります。進化論は神の存在を否定する前提に立ち、創造論は神がおられるという前提に立っています。両者は、それぞれの前提に基づいて、同じ地球や宇宙を見つめ、その論理を展開しているのです。
日本では創造論に立つ科学者は少ないかもしれません。しかし、世界に目を向けると、創造論に立つ多くの科学者たちがいます。「進化論は科学であり、創造論は非科学である」という固定観念は、多くの日本人が長年信じ込まされてきた、一種の信仰に近いものとも言えるでしょう。
聖書の最初の書である創世記は、「はじめに神が天と地を創造された」(1節)という言葉で始まっています。原語の語順に注目してみましょう。最初は「はじめに(ベレーシート)」です。これは時間の「はじめ」や順序の「最初」とも取れますが、ここでは「時間そのものの始まり」を示唆しているのでしょう(参 ヨハネ1:1)。
次に動詞「創造した(バーラー)」が用いられています(1:21,27; 2:3)。1章には「造られた(アーサー)」(7,16,25,26節)という動詞も出てきますが、「バーラー」の特徴は、必ず神を主語として用いられる点にあります。人の創造においては、両方の動詞が用いられています(1:26, 5:1)。続いて「神(エロヒーム)」です。聖書は神の存在を論証することなく、自明の前提として語り始めます。最後に「天と地」という表現が出てきますが、これは両極を並べることで、万物すべてを表しています。すなわち、神は万物の創造者であるということです(参 ネヘミヤ9:6)。
― 2-13節の解説は省略 ―
神が「創造者」であるということは、私たちをどのような結論へと導くでしょうか。
第一に、万物の存在は偶然によるものではなく、確かな神の御意志(意図や目的)によるものであるということです。そのことは、進化論的世界観を否定します。
第二に、創造者と被造物とは、明確に区別されなければならないということです。神と自然とを同一視するような汎神論は否定されます。被造物を神とすることは、空しいばかりでなく、愚かなことです(参 ローマ1:25、エレミヤ10:1–5,12–16、詩篇115:3–8)。
第三に、創造者なる神に感謝をささげ、礼拝をささげることは、まことにふさわしいということです。私たちは、自分自身を含め、神が造られた地上のさまざまな恵みによって生活が支えられています。そのような神に感謝をささげることは当然であり(マタイ5:45、詩篇136:5–9)、そのお方こそ礼拝はささげられるべきなのです(参 黙示録4:11、14:7、詩篇148:5)。
このメッセージは2026.2.1のものです。

