箱舟から出たノアたち 創世記9章
箱舟を出たノアたちのことが9章に出てきます。9章は三つに分けることができます。1-7節は、神のノアたちへの祝福です。8-17節は、神が立てられた契約についてです。18-29節は、酔っ払って裸になったノアの醜態に対する息子たちの態度とノアの反応です。
第一に、神のノアの家族に対する祝福を見ていきましょう。1節と7節には、神の「生めよ。増えよ。地に満ちよ」と「生めよ。増えよ。地に群がり、地に増えよ」とのことばがあります。神のアダムへの祝福のことばが更新されていることが分かります(1:28)。そのことばを挟むかたちで、新たな世界に踏み出そうとしているノアたちに神は語りかけています。どのようなことが語られているのでしょうか。
一つ目は、動物たちを彼らに委託するということです(2節 参 1:28)。ここには、最初にあった動物たちとの関係の変化が読み取れます。動物たちが人を恐れ警戒するようになるということです。二つ目は、肉食を許可しているということです(3節 参1:29-30 堕落後に肉食は行われていて、それを追認したと考える人もいる)。「ただし肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない」との条件をつけています。三つ目は、殺人に対する厳罰が命じられています(5-6節)。動物に対しても人に対しても神は「血の価」や「いのち」を「要求する」と三回繰り返して、神の強い決意を強調しています。いのちは神が与えたものであり、神に属するものであるからです。そして神は、殺人という罪に対する厳罰の理由を「神のかたちとして」造ったからと述べています(参 1:26-27,5:1-3、ヤコブ3:9)。神が、他の動物たちと違って人間の尊厳をどこに置いておられるか、がわかります。人の価値や尊厳が、富や地位や美しさや社会的な有用性によって判断される中にあって、忘れてはならない視点がここにあります。
― 8-17節の契約については、省略 ―。
最後に、神とともに歩んだノアの醜態と、それを発端として彼が語った唯一のことば(25-27節)を見ていきましょう。箱舟を出たノアは、ぶどう栽培をする農夫となりました。ある時、彼はぶどう酒に酔って天幕の中で裸になってしまいました。事はそれだけでは終わりませんでした。その醜態を見た末息子の「ハム」は、おそらく面白がって、他の二人の兄弟にそのことを伝えました。そのことを聞いた「セムとヤフェテ」は、父の醜態を見ないように慎重に行動して、父の裸を上着で覆いました。
事の次第を後で聞いたノアは怒って、「ハム」の息子「カナン」をのろい、「しもべとなるように」と三回宣言しました。ここに疑問が浮かびます。ノアの息子たちの違いは、単に父の裸を「見た」(22節)か「見なかった」(23節)か、の違いなのだろうかということです。ある人たちは、ハムの態度に、わいせつな思いや行動を推測したりしていますが、それは推測に過ぎません。ノアの裸は、直接非難はされていませんが、恥ずべきことだったでしょう。しかし焦点は、ノアの醜態よりも、息子たちがどのような態度をとったのかにあります。父の権威が重んじられる文化の中にあって、ハムが「見て、・・・兄弟に告げた」態度は、父に対する不敬を明らかに表わしています。それに対して、セムとヤフェテの態度は、父の恥を覆って尊厳を保ち、父に対する敬意を示したと言えます。
「十戒」には、「殺してはならない」(出エジプト20:13)だけではなく、「あなたの父と母を敬え」(出エジプト20:12)とのことばもあります。十戒は、対人関係における最も基本となることばです。昔も今も、いのちの尊厳や親への敬意が問われていることがわかります。
このメッセージは2026.1.18のものです。


