一つの救いの道 箱舟とキリスト 創世記6-8章



 「ノアの洪水」の出来事(6–8章)は、旧約聖書の中でも最もよく知られている出来事の一つでしょう。その「ノア」については、三つの表現で説明されています(6:9)。一つ目は「正しい人」(7:1)です。「正しい人」とは、「善良な人」を表わす最も一般的なヘブル語です。二つ目は「全き人」です。「全き」とは、犠牲としてささげる動物が「傷のない」(レビ1:3)ことを示す表現であり、神がアブラハムに求められたものです(17:1)。これは、ノアが罪をまったく犯さなかったという意味ではなく、道徳的に正しく、誠実に歩んでいたことを示しています。三つ目は、「神とともに歩んだ」です。これはエノクに用いられた表現であり、ノアが神との親しい交わりの中に生きていたことを示しています。

 まず、洪水が起こった背景、すなわちその原因を見ていきましょう。なぜ、このような人類を一掃するほどの神の裁きがくだされたのでしょうか。6章2節には、「神の子ら」と「人の娘たち」との結婚が語られています。「神の子ら」とは何者なのかについては、古くからさまざまな議論がなされてきた難問の一つです。「御使いたち」や「支配者たち」と考える人たちもいますが、個人的には、「神の子ら」は敬虔なセツの子孫を指し、「人の娘たち」とは、神から離れ、急速に堕落していったカインの子孫の娘たち(さらに、神との関係を失ったセツの子孫の娘たちも含む)を指すと考えてよいのではないかと思います。神との関係を見失ってしまったセツの子孫の男たちが、カインの子孫の娘たちとの結婚によって、驚くべき道徳的堕落を人類全体に広げてしまったのです。

 6章5節や11–13節は、洪水以前の人間の罪がいかに深刻であったかを示しています。1章31節では、神はご自身が造られたすべてのものをご覧になり、「非常に良かった」と評価しておられました。しかし、それが今や、きわめて悪い状態にまで堕落してしまったのです。聖書は、神が人を造られたことを「悔やみ」、「心を痛められた」と記しています(6–7節)。これは、神が人間のように後悔されたという意味ではありません。神は悔いることのないお方です(参 民数23:19、Ⅰサムエル15:29)。ここでは、人間に理解できる表現を用いて、人間の罪の深刻な堕落という変化に、神が応答されたことを示しているのです。神は深い悲しみをもって人の罪を耐え忍んでこられましたが、ついに人類の新たな出発を、ノアとその家族に託すことを決意されたのです。

 ヘブル11章7節には、ノアが「まだ見ていない事柄について神から警告を受け」とあります(6:13、17)。その「まだ見ていない事柄」とは、大洪水のことです。神はノアに、「地上のすべてのものは滅びる」と告げ、「箱舟を造りなさい」と命じられました(6:14)。ノアは、神の言葉を信仰によって受け取り、箱舟の建造に着手し、その後も神の声に従い続けたのです。

 かつて神は、洪水という裁きから救われる唯一の道として箱舟を備えられました。そして今日、その同じ神は、罪に対する裁きから救われる道を、御子キリストによって備えてくださっています。主イエスは、洪水前の時代とご自身の再臨の前の時代を重ね合わせ、「同じことが起こる」と警告されました(ルカ17:26–27、30)。神は忍耐をもって、すべての人が悔い改め、救いのために備えられた箱舟であるキリストのうちに入るよう、今も呼びかけておられるのです(参 Ⅱペテロ3:6–9、ローマ8:1)。


             このメッセージは2026.1.11のものです。