パウロの感謝と祈り エペソ1章15-23節



 今回の15-23節は、三つに分けることができます。15-16節は感謝、17-19節はとりなしの祈り、20-23節はキリストを高くあげられた神への賛美です。 – 感謝の内容については省略 -


 パウロは、感謝のあと彼らのためにとりなしの祈りをしています。「栄光の父」にどんなことを願っているのでしょうか。「神を知る」(共同訳「神を深く知る」)ことです(参 コロサイ1:9-10)。ここでの「知る」という意味は、人格的に体験的に知るということです。つまり「神について」知ることではなく、「神」を知ることです。


 人間同士が相手をより深く知るのは、共に時間を過ごし、親しく交わることによってですが、同じようなことが神を知ることについても言えるでしょう。過去を振り返って、信仰を持ったときよりも、今のほうが神をよく知っていると言うためには、御霊の助けを必要としています。


 パウロは「知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように」(17節)と祈っていますが、これは御霊の新たな内住を求めているのではありません。なぜなら、彼らはすでに御霊による「証印」と「保証」をいただいている者たちだからです。「御霊」は、私たちの祈りを助け、また私たちを神の真理へと導いてくださるお方です(参 Ⅰコリント2:10-11,ヨハネ16:13)。そのお方の働きを求めているのです。


 パウロは、神を知るとはどういうことなのかを三つあげて、それらを「知ることができるように」と祈っています(18-19節)。パウロはそのためには「心の目がはっきり見える」ようにと願っています。つまり、霊的な洞察を得ることができるようにということです(参 ルカ24:45,詩篇119:18)。


 パウロがここで求めていることは、新しい祝福というよりも、すでに彼らがいただいている救いの霊的な祝福の豊かさを知ることができるようにということでしょう。その第一は、「神の召しにより与えられる望み」です。第二は、「聖徒たちが受け継ぐ栄光の富」です(参Ⅰペテロ1:4)。第三は、「信じる者たちに働く神のすぐれた力」です。パウロは「あなたがた」から「私たち」と言い換えて、自分を含めたすべての信者たちのうちに神の力が働くことを強調しています。

 エペソ人への手紙のテーマの一つは「神の力」です(参 3:16,20,6:10)。信じる者たちはそのお方の力によって、様々な困難や誘惑に打ち勝つことができるのです。そのためには、パウロが祈ったように「心の目がはっきり見えるようにな」る必要があるのです。

 旧約聖書には、目が開かれた預言者エリシャの若者のことが記されています(Ⅱ列王6:8-17)。アラムの王は、自分の戦略がことごとく失敗するのは預言者エリシャのせいだと分かったとき、大軍を差し向けエリシャたちを包囲しました。敵の大軍に取り囲まれて、うろたえる若者のためにエリシャが祈ると、彼は敵よりさらに多い神の援軍がおられるのを見ることができました。

 私たちは弱い者です。しかし、神はそのすぐれた力を信じる者たちに今も働かせることができるお方です。いろいろな困難があっても恐れることはありません。神がともにいてくださるのです(参 マタイ28:20)。


         このメッセージ2026.3.15のものです。