神をほめたたえる理由(2) エペソ1章7-14節



 前回に続き、神をほめたたえる理由としての霊的祝福を見ていきましょう。

 霊的祝福の第三は、「贖いと背きの罪の赦し」(7節)です。まず、「贖い(アポリュトローシス)」とは、代価を払って解放することを意味します。これは、人間が罪の奴隷であること(参 ヨハネ8:34、ローマ6:17)を前提としています。その奴隷状態から解放するために、キリストはご自身の尊い「血」、すなわち十字架の死をもって代価を払ってくださったのです(参 Ⅰペテロ1:19、マタイ20:28)。そして、次は「背きの罪の赦し」です(参 コロサイ1:14)。人はその罪のゆえに神の赦しを必要としている者です。その罪の赦しはキリストを通してもたらされました(使徒10:43、13:38)。

 ここでパウロは、「贖い」や「背きの罪の赦し」を将来の約束としてではなく、「受けています」と、現在の経験として語っています。そしてその理由を、「神の豊かな恵みによる」としています。

  • 霊的祝福の第四の「みこころの奥義の啓示」と霊的祝福の第五の「相続」については省略 –

 霊的祝福の第六は「聖霊の証印と保証」(13,14節)です。これまでの祝福についての言及には、祝福を受ける側の信仰による応答が明示されていませんでしたが、ここでは祝福が「救いの福音を聞いてそれを信じた」結果もたらされたものであることが示されています。

 最初の「約束の聖霊によって証印を押されました」(13節)ですが、聖霊が「約束の」と呼ばれるのは、旧約の預言者たちによって約束されていたからです(エゼキエル36:26-27、ヨエル2:28)。また主イエスもそのことを予告しておられました(ルカ24:49、ヨハネ16:7)。ペンテコステにおいてそれは成就し(使徒2:33)、それ以降、聖霊は福音を信じる者のうちに住まわれています(参 ガラテヤ3:14、Ⅰコリント6:19)。

「証印を押す」ことは、文字を読むことができない人々も多かった時代において一般的な習慣でした。証印は、それが本物であることを証明し、その所有者が誰であるかを示すものでもありました。キリスト者のうちに聖霊がおられることは、彼らが神のものであることを証明し、神のものが誰によっても損なわれないことを保証するのです。

 次の「保証(アラボーン)」(14節)とは「手付け金」のことで、商取引において全額の支払いを保証する頭金を意味します。信者のうちに聖霊がおられることは、信者たちが神のものであることを示すとともに、将来の救い(贖い)の完成を保証するものなのです。

 パウロは、自分を含めてキリストにある者たちがどのような祝福にあずかっているかを挙げ、その最終的な目的が「神の栄光がほめたたえられるため」(14節)であると語っています。パウロは、キリスト者たちが口で神の栄光をほめたたえるだけでなく、その生活を通して神の栄光をあらわすことを願っています。堕落している私たちは、神の栄光を口にしながらも、実際には自分の栄光や賞賛を求め続けていることに気づかない場合がしばしばあるのではないでしょうか。自分という偶像から真の祝福がもたらされないことを覚え、霊的祝福を与えてくださる三位一体の神をほめたたえて歩んでいきましょう。


       このメッセージは2026.3.8のものです。