創造(2) 人 – 創造の頂点 創世記1章14節-2章3節 


 神の創造において最も詳しく記されているのは第六日目です。その最後に登場するのは、人です。しかも人の創造は2章でも詳しく述べられています。このことからも、神の創造の頂点は人であると言うことができるでしょう(参 詩篇8篇)。神は地球環境を整えられた後、最後に人を創造され、そのすべてを見て「非常に良かった」(31節)と評価されたのです。

 前回の創造の続きとして、第五日目から見ていきましょう(第四日は、スペースの関係で省略)。第五日(20-23節)には、第二日に整えられた領域に魚と鳥が創造されています。これらは「生き物」(ネフェシュ・ハッヤー)と呼ばれており、この語は第六日に創造される「地の生き物」や「人」にも用いられています(1:24、2:7)。

 この日に初めて現れるのが、神の「祝福」です(22節)。神は「生めよ。増えよ。…満ちよ」と仰せられました。この祝福のことばは、後に人(1:28)やノア(9:1)にも語られています。増え広がること自体が神の祝福であることを示しています。

 第六日(24-31節)には、第三日に植物が創造されたことと対応して、地をすみかとする「地の生き物」と「人」が創造されています。

 「地の生き物」は三つに分類されています(24、25節「家畜」「這うもの」「地の獣」)。魚や鳥と同様、「種類ごとに」造られたことが強調されています。その具体的範囲を特定することは困難ですが、創造の秩序の中に区別があることが示されています。

 「人」の創造には、「~あれ」や「生じよ」という命令は用いられていません。代わりに、「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」(26節)という特別な宣言が語られています。ここには二つの難問があります。一つは、なぜ神が「われわれ」と複数形を用いられたのかということ。もう一つは、「神のかたち」とは何を意味するのかということです。学者たちの見解は一致していません。なぜなら、その用例は限られており(1:26-27、5:1,3、9:6)、聖書自身が明確な定義をしていないからです。ただはっきり言えることは、「かたち」(ツェレム)と「似姿」(デムート)は補完的に用いられ、人は神に似た存在でありながら、神そのものではないことを示しているということです(「神のかたち」の意味については説教集を見てください)。

 27節では、人の創造について「創造された」という動詞が三度繰り返され、強調されています。そして、「男」も「女」も等しく「神のかたち」に造られた存在であり、両者に優劣はありません。動物には「種類ごとに」ということばが繰り返されましたが、人間にはその表現は用いられていません。人は一つの人類であり、人種間の優劣を論じることは、神が人に与えられた尊厳を損なうものと言えるでしょう(参 9:6)。

 神は男と女に対して、「地を従えよ」「すべての生き物を支配せよ」(28節)と命じられました。人は神によって被造物の上に特別な地位を与えられています。しかしそれは、自然や動物を利己的に搾取することを意味するのではありません。真の所有者である神に代わって、全体を調和あるものとして管理する責任を任されたということです。堕落によってこの責任は歪められ、無責任な破壊や乱獲が生じていますが、本来の使命は秩序ある管理にあります。 -「第七日」は省略 -


          このメッセージは2026.2.8のものです。