救いを達成するよう務めなさい ピリピ2章12-18節
新約聖書では、「救い」は三つの意味に用いられています。一つ目の意味は、福音を信じた時に恵みとして受ける「救い」(「新生」や「義認」の意味)です。通常、誰かに「あなたは救われましたか」と尋ねるとき、この意味で使うことが殆どです。この意味では、すべてのクリスチャンにとっての「救い」は過去の事です(参 エペソ2:5,8,テトス3:5)。二つ目の意味は「聖化」です。「聖化」とは、罪の力から解放されキリストに似た者とされていく、現在進行形の過程を言います。三つ目の意味は「栄化」です。「栄化」とは、「聖化」の完成、つまり「救い」の完成を意味し、将来の希望です(ローマ5:9-10、13:11,Ⅰペテロ1:5など)。
今回の箇所でパウロは、「救い」を「聖化」の意味で使っています。「新生」や「義認」(神が罪人を義としてくださること)は神の恵みによる御業であり、そこには人のわざ(行い)が入り込む余地はありません。それとは違い、「聖化」は、神の働きであると同時に信者の働きでもあります。信者は、神が恵みによって備えてくださった聖化の手段、すなわち健全なみことばへの理解と従順、礼拝、祈り、交わりなどを通して「聖化」の道を歩んでいきます。「恐れおののいて」とは、聖化の歩みの基本的な姿勢であり、神への畏敬への念を持って、ということです。
12節の「自分の救いを達成するよう努めなさい」の命令は、13節と切離すことができません。なぜなら、聖化は、神によって完成へと導かれるものだからです(参 1:6)。パウロは、ここで神の働きを二つあげています。「志を立てさせ」(13節)とは、その人の心に「願い」を与えてくださるということです。もう一つの、「事を行わせてくださる」とは、願いを「実行」へと導いてくださるということです。救われる前は、神に従いたいとの願いは全くなかったでしょう。しかし救われてからは、神はご自身に従いたいとの願いを与え、それを実行できるように働かれるのです。神は、信者たちに自分たちだけで頑張りなさいと言っているのではなく、信者たちの内にも外にも働いて聖化の道を歩み続けることこができるようにしてくださるのです。聖化における神の働きを強調するあまり、人間の努力(責任)は必要ないと考える人がいるかもしれません。「新生」や「義認」についてはそうかもしれませんが、「聖化」についてはそうではありません。
救いは、三つの時制に及ぶものです。私たちは、神の一方的な恵みによって「救われた」(過去)ことを感謝し、「栄化」の望みをしっかり見据え(未来)、「聖化」の道を共に進んでいきましょう(現在)。神が恵みによって備えてくださっている聖化の手段を大切にしましょう。
このメッセージは2025.9.21のものです。


