信仰の原点へ 創世記35章1-29節
息子たちの復讐によって一族存亡の危機に立たされたヤコブに、神は「ベテルに上り、・・・・ 祭壇を築きなさい」と、命じられます(1節)。ベテルは、祝福を横取りしたヤコブが、兄の殺意を逃れるためにパダン・アラムの伯父のもとへ行く道中、神がご自身を現してくださった所です(1,7節 参 28章)。ヤコブは、不安と孤独な旅の途上にありました。しかし神は、祖父や父への約束、すなわちカナンの土地の相続と子孫の繁栄をヤコブにも繰り返し、カナンへと無事に戻って来ることをご自身の臨在の約束と共に保証されました。ベテルはヤコブが神の臨在をはっきりと意識した所であり、彼にとって信仰の原点ともいうべき場所です。神は、そこへ行って祭壇を築き、礼拝するようにと命じられたのです。
ヤコブは、礼拝をささげるお方を「苦難の日に私に答え、私が歩んだ道でともにいてくださった神」(3節)と呼んでいます。ヤコブがこれまでの歩みにおいて、神が臨在をもって自分を支えてくださったことを覚えていることがわかります。
ヤコブは礼拝をささげるにあたって、家族やしもべたちに「異国の神々を取り除」くように命じています(2節)。真の神と偽りの神々を同時に礼拝することはできないことです(出エジプト20:3,マタイ6:24)。使徒の働きには、エペソの魔術を行っていた者たちが、真の神と出会った時、それまで使用していた書物を焼却処分したことが記されています(使徒19:19)。真の神を礼拝するためには、神との正しい関係を損なう偶像を捨て去る必要があります。人々はヤコブの言葉に従って、それらを樫の樹の下に埋めました。その中には妻ラケルが父のもとから盗んできたテラフィムも含まれていたことでしょう(31:34)。ヤコブは、偶像を捨てるだけではなく、「身をきよめ、衣を着替えなさい」と命じています。それは今日的に言うなら悔い改めの心を示すものでしょう。
ヤコブはついに、かつての場所へと戻ってきました。そこで祭壇を築き、神を礼拝しました。神はヤコブに再びご自身を現してくださり、彼を祝福されました。神はヤコブに与えられた新しい名前を再確認し、かつての約束を更新してくださいました(10-12節)。
信仰は、単なる時間の経過と共に自動的に成長することを約束するものではありません。その時間の質が問われます。慣れは救いの喜びや感動を失わせ、義務感をもってクリスチャン生活を送らせてしまうでしょう。また、従順の伴わない知識の増加は、クリスチャンを傲慢にさせてしまうことでしょう(参 Ⅰコリント8:1)。ヨハネの黙示録には「あなたは初めの愛から離れてしまった」との叱責があり、「どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい」とあります(2:4,5)。私たちのクリスチャン生活において、礼拝に出席する喜びやみことばを慕い求める思いが失われつつあるなら、また失われた人々に対する愛情が冷ややかになっているならヤコブがベテルへ行き、そこで神を礼拝したように、私たちも自らの信仰の原点へと立ち返る必要があります。
このメッセージは2025.8.10のものです。なお、「ヤコブの生涯」(創世記25-35章 計12回のメッセージ)のさらに詳しい要約は、長野聖書バプテスト教会説教集『恵みによる信仰の軌跡 (The Journey of Faith by God’s Grace – The Life of Jacob)』(B5版、35頁)にまとめられています。


