シメオンとレビの復讐 創世記34章1-31節
34章には、ヤコブ一族を存亡の危機に陥れる事件が起こります。発端は、ヤコブとレアとの間に誕生したディナ(30:21)が、滞在していた土地の族長ハモルの息子シェケムによって強姦されてしまったことです。その復讐のために、彼女の実の兄であるシメオンとレビ(29:33-34)が、シェケムの男たちを虐殺し町を略奪するという暴挙に出てしまったのです。ヤコブは報復を強く恐れました(30節)。この34章は、三つに分けることができるでしょう。1-4節は、強姦です。5-24節は、交渉です。25-29節は、復讐です。
34章の悲惨な出来事から、私たちはどのようなことを読み取ることができるでしょうか。第一に、罪の事実にしっかり向き合うことは難しいということです。ハモル親子は、強姦という罪に対して謝罪のことばを口にしていません(8-12節)。シメオンもレビも自分たちの行き過ぎた復讐を正当化しています(31節)。頭で罪かどうかを判断できるということと、心で罪を正しく認識する(認める)ことができるということは、違います。
先日某テレビ局で、法律事務所に務める女性事務職員へのセクハラの問題が取り上げられていました。セクハラを受けた女性が訴えようとする上司は、法律に精通した弁護士です。弁護士は、何が罪となるかは一般人以上に良く知っているはずです。しかし、自分のした行為が罪であると素直に認めることは容易ではないでしょう。人が罪を正しく認識することができるのは、みことばを通して聖い神にしっかりと向き合うときです(参 詩篇119:11)。そしてまた、罪に対する赦しが備えられていることを知っているときです。なぜなら、罪を認めることによって重い刑罰が課せられるとわかるなら、自己防御が働いてしまうからです。だれでも罪の事実に向き合うことは容易ではありません。しかし、自分たちが不完全であることを認めて、神が備えてくださっている赦しの中を歩み続けていきましょう。
第二に、正当な怒りであっても、制御されないなら大きな罪を生んでしまうということです。ヤコブの息子たちの怒りは正当なものであったでしょう(7節)。しかし、彼らの怒りは制御を失って、復讐という大きな罪を生んでしまいました。ダビデの人生においても、復讐によって大きな罪を犯してしまいそうな出来事がありました(Ⅰサムエル25章)。ダビデの場合は、ナバルの妻アビガイルの速やかな謝罪ととりなしによって、復讐を思いとどまることができました。もし、彼女の賢明な行動がなかったなら、ダビデの復讐は、彼の人生の大きな汚点となっていたことでしょう。
怒りは、私たちにとって身近なものです。怒りそのものがいつも罪深いわけではありません。正当な怒りが存在し、福音書には、主イエスが怒っている場面が出てきます(参 マルコ3:5,10:14)。怒りは、問題が発生しているサインと考えたらいいでしょう。まず、自分がなぜ怒っているのか、その理由を冷静に考える必要があります。利己的になっていて、自分の思いどおりにならないために怒っているのなら、素直に悔い改める必要があるでしょう。正当な怒りなら、自分の気持を相手が正しく受けとめることができるように伝えるための知恵とタイミングを選ぶ必要があります。
聖書は、私たちに対して復讐を神に委ねて、「善をもって悪に打ち勝ちなさい」と勧めています(ローマ12:19-21)。神が、怒りを正しく制御し問題に対処するための知恵を与えてくださるように祈りましょう。
このメッセージは2025.8.3のものです。


