民からの励まし ヨシュア記1章7-18節
〈律法(みことば)への従順についての解説は、省略〉
ヨシュアは、「民のつかさたち」にヨルダン川を渡るために食料を準備するように命じた後(10-11節)、すでにヨルダン川の東側に相続地を得ていた「ルベン人、ガド人、およびマナセの半部族」(12節)にモーセが命じたことを思い起こさせて、他の部族たちとともにヨルダン川を渡り、「彼らを助けなければならない」と命じています(14節)。
ヨシュアが命じている二部族半の人々がヨルダン川の東側に割り当て地を得ることになった経緯については、民数記32章を読むとわかります(参 申命3:18-20)。本来ヨルダン川の東側は、約束の地には入っていませんでした。しかし、東側の二人の王、シホンとオグを征服したときに、その地が家畜を飼うのに適した地であることを見て、彼らは自分たちの割り当て地として欲しいと願い出たのです(民数32:5「しもべどもがこの地を所有地として賜りますように。私たちにヨルダン川を渡らせないでください」)。その願いを聞いたモーセは激しく怒り、彼らの父の世代が不信仰によって約束の地に入れなかった時の出来事を思い起こさせ(民数32:6-13,民数13-14章)、強く警告しています(民数32:14-15)。彼らは利己的になっていて、自分たちの言動が他の部族にどのような影響を与えるかを考えていなかったのです。言い換えるなら、彼らは神の民としての「一致」を損なおうとしていたことに気づいていなかったのです(「ヨシュア記」のもう一つのテーマは「一致」)。
救いは個人的なものであり、だれでも「福音」を信じるなら救いにあずかることができます(Ⅰコリント15:2-4)。しかし、救いを得たクリスチャン生活は、「キリストのからだ」(エペソ1:23,4:12)である教会を離れてあるものではありません。なぜなら、からだの一つの器官だけではからだとは言わないからです(参 ローマ12:5,Ⅰコリント12:26)。特別な事情がない限り、キリスト者たちはキリストのからだの各部分として組み合わされ機能し、教会として使命を共に担っていくことを神は願っておられるのです(エペソ4:7-16)。教会について語っている聖書箇所において、教会の「一致」がとても重要事項であることがわかります(参 エペソ4:3,ピリピ2:2-3,4:2,コロサイ3:12-15,Ⅰコリント10-11など)。キリスト者が利己的になるなら、一致を保つことはできません。そして、ともに支え合いながら霊的な戦いに勝利していくこともできないでしょう(参 伝道者4:12)。
二部族半の民は、ヨシュアの命令に対してどのように応答しているでしょうか。ヨシュアのリーダーシップを全面的に受け入れて、モーセに聞き従ったように彼に従うことを表明し、神がヨシュアを励ましたことばをもって彼を励ましています(16-18節)。彼らの積極的な応答はリーダーのヨシュアをどんなに勇気づけことでしょうか。神は、神が立てられたリーダーの指導のもと(参 エペソ4:11,Ⅰテサロニケ5:12,13,ヘブル13:17)民が一致して前進していくことを願っておられるのです。
このメッセージは2026.8.16のものです。


