神のすべての武具を身に着けなさい エペソ6章10-17節
世界各地で戦闘が続いている現実を見ると、日本は平和な国だと感じます。しかし、聖書は、私たちが戦いの中に置かれていることを教えています。もし私たちがその現実に気づいていないなら、それは無防備な状態にあることを意味しています。
戦うためには、まず敵を正しく知る必要があります。私たちが戦っている相手とは何者でしょうか。11節には「悪魔」とあり、12節では「私たちの格闘は血肉に対するものではなく」と説明されています。「血肉」とは人間を意味します。つまり、私たちの本当の敵は人間ではありません。さらにパウロは、「支配」「力」「暗闇の世界の支配者たち」「天上にいるもろもろの悪霊」という四つの表現によって、その霊的勢力を描いています。これらを厳密に区別することは難しいですが、いずれも悪魔をかしらとする、神に敵対する霊的勢力を指していると考えられます(参 マタイ25:41、ルカ11:18、Ⅱコリント11:15)。
「悪魔」と訳されている語は、ギリシア語でディアボロスといい、「中傷する者」「告訴する者」という意味があります。一方、パウロはヘブル語由来のサタンという呼び名も用いていますが(Ⅰコリント7:5、Ⅱコリント2:11、Ⅰテサロニケ2:18、Ⅰテモテ1:20)、こちらは「敵対する者」という意味です。聖書は悪魔を、「悪い者」(エペソ6:16)、「空中の権威を持つ支配者」(エペソ2:2)、「この世の神」(Ⅱコリント4:4)、「この世を支配する者」(ヨハネ12:31)、「偽りの父」(ヨハネ8:44)などとも呼んでいます。
悪魔は、堕落したこの世の背後で働く霊的な存在です(参 Ⅰヨハネ5:19)。人々が福音を信じてまことの神を知ることがないように目をくらまし(Ⅱコリント4:4、ルカ8:12)、またキリスト者を神から引き離し、誘惑によって罪へと陥れ、神のみこころに従う歩みを妨げようとしています。
悪魔に対しては、私たちはバランスの取れた理解を持つ必要があります。一つの極端は、その存在を過大評価することです。生活の中で起こるあらゆる問題や失敗をすぐに悪魔の働きと結び付けてしまうのは健全ではありません。悪魔は神のように全知でも全能でもなく、すでにキリストによって決定的な敗北を宣告されている存在です(参 エペソ1:21、コロサイ2:15)。私たちは悪魔にではなく、私たちのうちにおられる、より偉大なお方に目を向けるべきです(Ⅰヨハネ4:4)。
もう一つの極端は、その存在を過小評価することです。恐れる必要はありませんが、侮ってもなりません。悪魔はエバを誘惑して以来、人々を巧妙な「策略」(Ⅱコリント2:11)や「罠」(Ⅰテモテ3:7)によって神から引き離そうとしてきました。
このような敵に対抗するために、パウロは三つの命令を与えています。第一は、「主にあって、その大能の力によって強められなさい」(10節)ということです。この「強められなさい」は受動態であり、自分の力で強くなるのではなく、主ご自身の力によって強められ続けることを意味しています。第二は、「堅く立ちなさい」(11、13、14節)ということです。そして第三は、そのための手段として、「神のすべての武具を身に着けなさい(取りなさい)」(11、13節)という命令です。敵は私たちが自分の知恵や力で立ち向かえる相手ではありません。だからこそ、神ご自身が備えてくださった武具を身に着ける必要があるのです。 〈六つ神の武具についての説明は、省略〉
このメッセージは2026.7.19の


