子どもたちと父たちの責任 エペソ6章1-4節



 今回は、神が定められた家庭の秩序における親子関係を見ていきましょう。1-3節には、子どもたちの責任が動機づけ(約束)とともに語られ、4節では、父たちの責任が、否定的な面と肯定的な面の両方から語られています。親子は次の世代を結ぶ関係です。核家族化が進み、親子関係が希薄になりがちな現代において、良好な親子関係はますます重要になっています。     

  〈1-3節の子どもたちの責任についての解説は省略〉

 4節で父たちの責任は、簡潔な二つの命令によって示されています。「父たちよ」という呼びかけには、母親も含まれていると考えてよいでしょう(1節の「両親」、2節の「父と母」)。しかし、家庭における最終的な責任が父親にあったため、父親に焦点が当てられているのでしょう。

 否定的な「自分の子どもたちを怒らせてはいけません」という命令には驚かされます。なぜなら、当時のローマ・ギリシア世界において、家庭の長である父親の権威は絶大であったからです。子どもたちの不従順や反抗に対して、「親を怒らせてはいけません」であれば理解できます。しかし、パウロはそうは言いません。もちろん、わがままな子どもたちの機嫌を取るように命じているのではありません。父たちに、子どもの人格の繊細さを認め、それに十分配慮するように命じているのです。

 パウロは、どのようなことが子どもを怒らせる原因となるかを具体的には挙げていませんが、考えられる原因を挙げてみましょう。

 一つ目は、親に一貫したルールがない時です。親のその時々の気分によってルールが変わるなら、子どもはどこまでが許されているのか分からなくなります。

 二つ目は、親の言っていることと、やっていることが矛盾している時です。子どもには「だめだ」と言いながら、自分は平気でしているなら、それは身勝手です。

 三つ目は、不公平な扱いをする時です。子どもが数人いる場合、ある子だけを特別扱いするなら、無視された子の心には怒りが生まれます。そのような偏愛は、兄弟姉妹の関係をも引き裂くことになります。

 四つ目は、理不尽な扱いをする時です。しつけとは到底呼べないようなひどい扱い、言葉や暴力による虐待は、時々ニュースでも取り上げられます。理不尽な扱いは、子どもに限らず、誰にとっても正当な怒りの原因となります。

 五つ目は、かまい過ぎる時です。子どもが大きくなっても、小学生のようにあれこれ指図し続けるなら、それは過干渉です。初めから自由を与え過ぎることはよくありません。しかし、成長に見合った自由は、責任とともに与えられるべきです。                           〈中略〉

 ある人が子どもたちについて、「あなたを通してやって来ますが、……それでいてあなたのものではないのです」と言いました。神は、親が不完全であることを知りながら、子どもたちを託してくださっています。そして、子どもを育てるという務めを通して、親自身をも育てようとしておられます。育児は「育自」でもあるのです。託された責任を果たすことは決して容易ではありません。しかし、天の父は、親である私たちをも忍耐深く育ててくださっています。その父の恵みに支えられながら、愛と忍耐をもって、託された子どもたちを育てていきましょう。

           このメッセージは2026.7.5のものです。